ALS患者さんの“言葉”チームでとり戻す 京都
京都から朗報です。全身の筋肉が動かなくなる神経難病・ALS(筋萎縮性側策硬化症)患者さんに視線入力による意思伝達装置が支 給されたのです。この装置は公的に支給される補装具の対象でなく、京都市で初、近畿でも二例目という決定。職種も事業所も違う人々が、患者さんを真ん中に 知恵を出し合い、二度の申請却下にもくじけず勝ち取りました。(木下直子記者)
「おおくのひとにおせわになり心からかんしゃしております」
病床に設置されたパソコン画面に患者の田中愃毅(ひろき)さん(69)が打ち込む言葉が表示されていきます。ベッドを囲んでそれをのぞき込む人たちは皆、笑顔です。
田中さんは五六歳でALSと診断されました。人工呼吸器をつけ在宅療養する現在は、訪問診療や訪問リハビリを行う京都民医連第二中央病院やケアプランを担当する川端診療所、その他十数カ所の事業所がささえています。
■こうして支援が始まった
ALSは進行性の難病です。田中さんの場合も、動かせていた足や手指が動かなくなり、その後左まぶたで操作していたセンサー式の意思伝達装置も困 難に。文字盤で会話する手段もありますが、熟練が必要で、限られたヘルパーと家族の一部しか使いこなせません。介護者の負担もあります。田中さんは最低限 の意思を伝えると、会話をあきらめ目を閉じてしまうようになりました。
そんな時、患者仲間に視線で入力できる意思伝達装置を知らされました。発病後もデザイナーとして自社のカバン製作をしてきた田中さん。「使ってみたい」と訴えました。約二年前のことです。
二〇一二年七月、保健センター、京都府難病支援センター、診療所や病院、支援者五人が集まり、業者から取り寄せたデモ機を囲みました。簡単な説明で田中 さんは文字を打ち始めました。操作はスムーズ、入力時間も格段に短くすみました。「YES・NOの必要最低限の伝達でなく、心の中にある言葉を出してほし い」と、支援が始まりました。
■申請却下もあきらめず
視線入力装置は、それまで使っていたセンサー式とは違い、公的に支給される補装具ではありません。「特例補装具」として京都市に申請することに。 使っていたセンサー式の伝達装置が五年の耐用年数を過ぎていないなど簡単にいかない要素はありましたが、訪問リハを担当する第二中央病院の作業療法士・深 川みゆきさんが装置の適応評価をし、田中さんの手紙も添えて申請。しかし却下。
本人や家族との協議で再挑戦を決め、一三年二月に異議申し立て。主治医の磯野理さん(あすかい診療所)も、妻の京子さんや支援者らと福祉事務所を訪問し、病状と装置の必要性を説明。手ごたえを感じ期待しましたが、再び却下。
それでも田中さんは諦めませんでした。異議が却下でも「疑義照会」で再々挑戦することに。市側は「支援施策が変わるので新規申請なら検討する」と変わり ました。支援者たちは、装置の開発者に問い合わせたり、支給が認められた神奈川の患者さんを探して申請時に出すべき資料の情報を収集。文字盤・視線入力・ センサー式、それぞれの伝達速度、意思表示可能な相手、介護者の負担などを比較した資料を作って提出しました。
そして一三年一二月末、支給決定の通知が届きました。
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今後やりたいことを田中さんに問うと…「ぼくはクリエイター。ひとのやらないことをしたい。あいであ いっぱいありますねん」。文面から、沢山の人たちと賑やかに働いてきた田中さんという人物が、押しよせてくるようでした。
「生き返らはった」と京子さん。「夫から色々な指令が飛んで、たいへんになりそうですが、また新しい世界が広がります」。
■他の患者さんにも活かす
田中さんはこの成果を他の患者にも広げたいと考えています。磯野医師も「病気で生き方が狭められることはあっても、生きることをあきらめる必要は ない、と田中さんは教えてくれています。要求は最低限の人権保障でした。私たちが立場や職種の違いを超えて、患者さんのために動けた意義は大きい」と。
担当ケアマネジャーの角田おりえさん(川端診療所)は「『話す』というあたり前のことが、田中さんにはこんなにも遠かったんだと、痛感した」と語りま す。「支援制度が個々の人に合わせたものでなく、人が制度に合わせなければならない現状はおかしい。生きていて良かったと一つでも多く思ってもらえる仕事 がしたい」。
「患者さんと職員の情熱に学ばされた」と深川さん。「これから出会う患者さんにも活かします」。
(民医連新聞 第1569号 2014年4月7日)