原爆症認定の新基準 被爆者はどう見る? 日本被団協事務局長 田中熙巳(てるみ)さんに聞く
厚生労働省は昨年一二月、原爆症認定の新たな審査基準を決めました(表)。「非がん疾患の認定範囲は爆心地から二km以内」な ど、原爆被害の実態を無視しており、認定を求めて被爆者は再び裁判で争うことになります。新基準について、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田 中熙巳事務局長に聞きました。(新井健治記者)
私たちは原爆症認定制度を廃止し、全ての被爆者に「被爆者手当」を支給したうえで、障害の程度に応じて加算するという「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」の抜本的な改正案を提案しています。
被爆者は原爆で何らかの健康被害を受けています。にもかかわらず約二〇万人の被爆者のうち、原爆症の認定は四%にすぎない。認定を却下されるということ は、国から「あなたの障害は原爆とは関係ない」と宣告されたのと同じこと。だから被爆者は怒るのです。
この怒りから、却下処分の取り消しを求めて二〇〇三年に集団訴訟を提訴。全日本民医連は医師団を結成し、支援してくれました。三一の判決で原告三〇六人 の九割以上が勝訴。二〇〇八年には従来の認定基準を抜本改訂し、被爆条件の範囲と疾病の種類を拡大した基準(旧基準)ができ、〇九年には非がん二疾病が追 加されました。
ところが、厚労省は司法が認定すべきとした心筋梗塞など非がん疾患の九割近くの認定申請を却下。こうした司法判断と行政認定の“乖離(かいり)”を埋め るため、三年間にわたって厚労省の検討会で認定制度の在り方が検討されました。検討結果を踏まえて新基準が決定されたのですが、私たち日本被団協の意見は 反映されませんでした。
集団訴訟後も、却下された被爆者約一〇〇人が新たな裁判を起こしています。新基準でも認定されない原告は多く、裁判は続きます。平均年齢七八・八歳とい う高齢の被爆者たちに、裁判を続けさせる国の仕打ちは許せません。
破綻した認定制度
私は一三歳の時、長崎の爆心地から三・二キロで被爆しました。周囲が真っ白になり気絶。気が付くと背中にはガラス戸が覆い被さっていました。原爆に親戚五人をいっぺんに奪われました。
原爆炸裂後、大小無数のちりや雨など、放射線を帯びた降下物があたり一帯に降り注ぎました。福島第一原発の事故では、原発から二〇〇km以上離れた東京 にもホットスポットがあります。今でこそ放射線量の測定ができますが、原爆投下直後の詳細なデータは残っていない。どこまで被害が広がったのか、分からな いのに、原爆症認定は爆心地からの距離だけが基準にされています。現行の認定制度は破綻しています。
厚労省は被爆の実態を分かっていません。原爆被害は放射線、爆風、熱線による複合的、総合的なものです。放射能にとどまらず、ひどいやけどを負ったり大 けがをしたり、さまざまな被害にさらされたうえ、被爆後何年も満足な治療を受けられませんでした。
ところが、認定基準は放射線障害に限定し、しかも爆発当初の初期放射線しか認めていません。放射線降下物の残留放射線の影響は無視しています。
なぜ、声を挙げるか
なぜ被爆者は、戦後六九年経っても原爆症の認定を求めるのでしょうか。被爆者は就職や結婚で差別され、今も放射能の影響に不安を覚えています。国が起こした戦争で被害にあったことを認め、償ってほしいと願うからです。
厚労省が狭い認定基準にこだわるのは、原爆被害をなるべく小さく見せたいとの思惑があるから。根底には戦争の被害に対して国が責任を持つことに抵抗があ る。東京大空襲や沖縄戦の被害者には何の補償もしていません。原爆の放射能被害だけは特別と認めざるを得なかったが、これ以上補償を広げたら他の戦争被害 へ影響すると、恐れているのでしょう。
国は原発事故でも被害を小さく見せ、再稼働や輸出をすすめようとしています。被爆者が権利を獲得してきたのは先輩たちの運動の成果です。私は八一歳です が、今後も世論や政党に訴えて認定制度の抜本改正にとどまらず、死没者を含む原爆被害すべてに対する国の補償を実現したい。なぜ被爆者が執拗に補償を求め るのか。そしていまだに核兵器や原発がなくならないのはなぜか。皆さんに考えてほしいと思います。
(民医連新聞 第1565号 2014年2月3日)
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