インタビュー 絵本作家 イラストレーター 松本春野さん
一人一人の“物語”描きたい
力いっぱい笑う、泣く、遊ぶ―。圧倒的な生命力で見る者を惹きつける、紙 の上の子どもたち、大人たち。描き手は松本春野さん。一九八四年生まれの若手画家です。作品は最近、テレビにも登場、多くの人を和ませています。原発事故 を受けて作った絵本『ふくしまからきた子』には思いを込めました。ことし没後四〇年になる画家・いわさきちひろを祖母に持つ春野さん、絵本は意外にも「近 づきたくなかった」世界でした。そこに飛び込み目指すものは?
■ちひろの孫はコンプレックス
いまは〆切に追われる日々ですが、絵の仕事を始めたころは、バイトで生計をたてていました。お金が無く「普通に就職すればよかった」と後悔もしました。バブル崩壊後に育った私たちは個性を求められる一方、「堅実にがんばらないと食いっぱぐれる」と脅されてきた世代です。
ちひろ美術館(東京・練馬区)の一角に暮らし、館内を遊び場にして育ちました。祖母は私が生まれる前に他界し、会ったことはありませんが、「いわさきち ひろの孫」として受ける恩恵は引け目でした。絵を描くことは好きでも、自分を祖母と同じ土俵にあげる考えはなかった。むしろ絵本はいちばん近づきたくない 世界でした。
進学した美術大学では、不真面目な学生で、授業に出ない分、自分の今後を考える時間はありました。かつて芸術は貴族など一握りの人のものでした。では、 現代の芸術には何が求められているのか? リアルな社会を知ろうと、他大学の自主ゼミに参加しました。
そこは非正規労働や貧困の現場をフィールド活動して学び、人権を考えるという場でした。知れば知るほど「明日は我が身」で、当事者側で受け止めていました。
貧困などなく、生きている人すべてがその人らしい人生を送れればいい。そうすれば犯罪や事件や虐待も減る。「人権が尊重されるってすごく大事」と思いました。
■ 「人権」 学んで見えたこと
人間を描くことが好き、中でも人がわいわいと賑やかにしている場面が好きでした。私が描い てきたのは「そうであってほしい」と願う世界だった。そして人権を勉強したことが、絵本を見直すきっかけになりました。誰にも身近な芸術のひとつが絵本で した。読者を選別しない絵の世界とやさしい言葉で、ちひろは大切なことを伝えてきたんだ、と気づきました。
読書嫌いで算数も苦手、リコーダーはドの音が出せない、学校のワクでみると良い子でなかった自分でも、絵本は好きでいつも開いていました。「絵本の仕事 をしたい」と考えるようになりました。私より絵のうまい人は山ほどいます。でも人間が好きなら、老若男女一人一人の人格や物語を一枚の紙に込めた絵は描け る、と。
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この時期、母方の祖父の介護をしたことも、考える機会になりました。金沢で大学教員をして いた祖父は、無料で学べる場を地域に作る活動などをしたようで、病床には生徒だったという八百屋さんなどが顔を出すことも。「祖父は良いことしてたんだ な」と知るとともに、そうできる条件に恵まれていたことにも気づきました。
祖父は戦争で学徒出陣しましたが死なずにすみ、高学歴だったため、すぐ研究者の職も得ました。大学にいたから、大学病院に入れて追い出される心配もな かった。年金も多く東京から介護に来る孫の交通費も出せた。私に考える時間があったのも社会に目を向けることができたのも、恵まれていたから。ここで「自 分が生まれた環境をコンプレックスにするより、活かそう」と考え直しました。
絵描きになる決心を父に伝えると「辞められないぞ」「使命を負うんだぞ」と言い渡されました。「言い過ぎ!」と思いましたが(笑)、私が受けてきたもの を返していこう、私が描きたい世界に責任を持とうと決意はしました。
■『ふくしまからきた子』
そんな中、東日本大震災と原発事故が起きました。「子どもの幸せを願う発言をしてきた私が、沈黙するわけにはいかない。でなきゃ絵描きがすたる」と思いました。文章を書く人、絵を描く人、表現する人たちは、全力で発信すべき時だと思いました。
そうして作ったのが『ふくしまからきた子』(二〇一二年)です。原発事故で広島に避難した福島の小学生のお話です。
放射線量が高くて帰れないお家、家族ばらばらな日々。「私が良い子じゃなかったからこんなことになった」と泣いた子のエピソードが入っていますが、これは先生たちに取材した実話です。
海外の紛争地の子どもたちも、家族や自分に起きた悲劇を「私が良い子にしなかったせい」と考えるそうですね。切ないです。
ベトナム戦争を描いた祖母の絵本『戦火のなかのこどもたち』のことも頭にありました。小さいころ、あの絵本が怖くて嫌いで。でも、子どもには幸せな世界 ばかりでなく、情報を選別せず見せることも大事ではないかと思います。社会では「原発賛成」という人たちとも共存していくのですから。
絵本には反論も来ました。鋭い言葉を送ってくるのは福島のお母さんが多く、苦しくて限界なんだな、と感じました。でもその苦しみを生んだのは、絵本では なく原発です。「解決の道を一緒に探したい」とお返事を書いています。
そして問題が続く以上『ふくしまからきた子』は、終わらせてはいけない物語だと思っています。
■いつまでも当事者目線で
いまの日本は、自己責任ばかり求められる生きにくい社会です。「ファンタジーが描きにくく なった」とジブリの宮崎駿監督もおっしゃっています。政治も危ない。でもこういう時だからこそ、私のような当事者目線の、ひ弱な作家が居て良いのかもしれ ません。幸せな子どもがいっぱい描ける世界を、心から望んでいます。
聞き手・木下直子
まつもとはるの…1984年生まれ。著書に『絵本おとうと』『地震の夜にできること。』『ふ くしまからきた子』など。スタジオジブリの小冊子『熱風』の表紙絵を担当するなど挿絵・装丁も多数。Eテレで放送中の「モタさんの“言葉”」で作画を担 当。祖母は画家のいわさきちひろ。
(民医連新聞 第1563号 2014年1月6日)