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民医連新聞

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みんいれん60周年<薬害> 「私たちを加害者にするな」 薬害とたたかう

 スモンやHIV、肝炎など薬害で多くのいのちや生活が奪われてきました。これは不適切な医療行政による人災です。民医連の薬剤師たちは製薬企業や薬を認可した国を訴えた原告を支援し、責任を追及してきました。創立六〇周年シリーズは「薬害」です。(矢作史考記者)

 「薬は健康を守るもの。薬剤師は患者さんに『お薬を飲みましょう』と伝えなければいけません。厚労省は私たちを被害に加担させないでください」。
 八月二三日、東京・霞ケ関の厚労省前で大阪民医連の薬剤師、山下正洋さんが訴えました。毎年行われている薬害根絶デー。「私たちを加害者にするな」と訴 えています。今年は民医連の薬剤師など約一〇〇人が参加しました。
 日本ではこれまで、一九四八年のジフテリア予防接種に始まり、サリドマイド、スモンやHIVなどの薬害が発生しています。二〇〇〇年代に入っても後を絶 ちません。「副作用がない夢の新薬」との宣伝で発売された抗がん剤イレッサは、重篤な副作用を引き起こし、八〇〇人以上の犠牲者が出ています。

訴訟の支援、つづけて

 民医連は薬害訴訟原告の支援に長年関わってきました。七〇年代に起きた薬害スモンが各地で支援を広げる契機に。これは整腸剤キノホルムが重篤な神経障害を起こした事件で、民医連の患者を含め一万二〇〇〇人以上に被害が出ました。
 七一年から被害者たちは札幌~福岡まで二七地裁で製薬会社と国を相手に訴訟を起こし、民医連は厚生省(当時)前での座り込みや署名にとりくみました。運 動は全国に広がって原告が勝訴。七九年に全面和解し、同年薬事法も改正。医薬品の安全性確保の明記や、健康被害が出た場合には行政に回収命令ができる権限 を付与しました。また、「医薬品副作用被害救済基本法」も国会で成立。大きな成果です。当時を知る薬剤師の藤竿伊知郎さん(東京・外苑企画商事)は「これ で薬害が減るのでは、と期待した」と振り返ります。
 しかし八〇年代には薬害HIVが発生。加害企業の薬の不買運動や、多くの薬剤師が「HIV訴訟を支える会」で活動。勝利和解に貢献しました。
 和解後の九九年八月二四日には、国が医薬品の安全性確保の努力を誓う「誓いの碑」を厚労省前に建立。以来毎年、弁護士や学生、医療者などが薬害根絶デーを行い、民医連の薬剤師たちも参加しています。

儲け追求と対応の遅れで

 藤竿さんは起こり続ける薬害の原因を、薬には商品としての価値があるため、安全性に懸念が あっても儲け優先の企業は隠蔽しがちなこととあわせ、管理する行政のサボタージュがある、と指摘します。日本では他国よりも薬害が拡大する傾向が。重篤な 副作用が報告されても、使用中止や回収作業の行政対応が遅いのです。
 薬害を防ぐために必要なことは? 藤竿さんは「飾り立てた情報に惑わされないこと。そして薬剤師が被害者からじかに話を聞いて実態を知り、行政の監視を続けること」と応えました。
 薬害HIVをきっかけに、東京では訴訟を支援した若手薬剤師なども参加する「東京民医連薬害根絶の会」を立ち上げ、その後イレッサや肝炎などの訴訟を支 援してきました。また、各県連でも薬害委員会などが設置され、情報交換や裁判傍聴、ニュース発行などの活動を行っています。

薬害を風化させないために

 薬剤根絶デー翌日に行った「民医連のつどい」に参加した薬剤師の多くが三〇歳以下の若手で した。「つどい」では、薬害被害者の生活や差別、サリドマイド児を生んだ母親が子どもを殺した事件などについて聞きました。今回、初めて薬害被害者の話を 聞いた、入職一年目の黒田典彦さん(薬剤師)は「胸が痛くなった。薬害を風化させてはいけない」と、語りました。
 一連の企画のしめくくりに、全日本民医連の高田満雄理事(薬剤師)はこう呼びかけました。「今回学んだことをみなさんの職場から広めてください。薬害に は産・官・学の『利益の癒着構造』があり、副作用情報は隠され、被害は軽視されます。しかし、民医連薬剤師には被害者の話に耳を傾け、その構造を告発して 問題を明らかにする力があります」。

(民医連新聞 第1556号 2013年9月16日)