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民医連新聞

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みんいれん60周年〈北海道〉 ペダルに込めた思いは“ロードto広島・長崎” ぼくらが始めた平和自転車リレー

 民医連の活動の名物、反核平和自転車リレー(全国では“ぴーちゃり”とも呼ばれる)。その名の通り自転車で走り平和をアピールす るこのとりくみは、現在二九県連以上に広がり、ことしは六〇周年記念行事の一つにも。発祥は北海道・道東勤医協でした。現地では通称peace  bicycle relay (PBR)、今年で一九年目。いまや職種の垣根を越えてとりくむ大事な企画になっています。六〇周年シリーズ七回目は六月二 二日~二三日に行われた自転車リレーを取材しました。(矢作史考記者)

shinbun_1552_01  六月二二日朝、スタート地点の根室・納沙布(のさっぷ)岬に参加者が集結。日本の本土最東端から一五〇km先の釧路協立病院まで自転車七台が連なって走り ます。今回は新卒看護師から事務長まで、四〇人を超えて参加。友の会や沖縄民医連の仲間の顔も。あいにく初日の天気は曇りで、気温は一二度。参加者から 「なまら寒い」との声もあがる中、朝九時半、スタートしました。
 広い車道の横には畑や牧場が広がります。午前中に二一km先のねむろ医院に到着。ここでは近くの団地を訪れ、核兵器廃絶と原発ゼロ署名も集めました。そ の後、厚岸(あっけし)郡浜中町まで約八〇kmをリレーで走行しました。

プロモーションビデオも

 二日目の行程は浜中町からゴールの釧路協立病院まで約七〇km。時折、走者にビデオカメラを向けて「平和とは」と問いかける人物が。新入職員むけにPBRのプロモーションビデオを広報担当者が撮影するのも道東の特徴。
 そして、自転車リレーは最大の山場、上尾幌(かみおぼろ)入口~深山区間へ。この区間は九kmの間に急な上り坂が五km以上続く難関。原則、競争や無理 な追い越しは禁止という走行ルールにしているものの、ここだけは例外で、自転車レースさながらの展開に。走者七人は“強者”ばかり。坂道を駆け上がりまし た。
  最後の休憩地点は老健・ケアコートひまわり。到着すると羅臼(らうす)町から走って来た自転車チームとも合流。釧路協立病院へ。

なぜ自転車で平和を?

 なぜ、青年たちは自転車で平和をアピールするのか。きっかけは毎年夏に原水爆禁止世界大会 に向けて、核廃絶を訴えて歩く国民平和大行進でした。初代事務局長の森田雅人さん(事務)は「平和行進を通し行進する人がいるのを知り、すごいと思った。 でも、僕らの地域で歩ききれる距離ではない。自転車なら長距離でも走りきれる! と考えました」と話します。
 そこで一九九四年、青年JBや労組青年部を中心に「ロードto広島・長崎」を合言葉に実行委員会を結成。初回は一五人ほどで開催。翌年の第二回からは道 民医連内の他法人や、道外からの参加も。やがてとりくみは全国に。「みんなで『全国で繋がったらいいなぁ』と話していたんです」と、森田さんは振り返りま す。

平和考えるきっかけに

 新卒看護師の三浦詩織さんは今回、初参加。「平和について考えようと思いました」。
 釧路市から六〇kmほど離れた矢臼別(やうすべつ)町では、日本最大の陸上自衛隊の演習場があります。六月一一日には米軍と共同の実弾訓練で、米海兵隊 の一五五ミリりゅう弾が演習場外に着弾する事件を起こしています。
 走行前日には矢臼別の問題も学習。核や原発とあわせ、身近なところでも平和を訴える意義を説明。そしてその活動が民医連綱領に沿った活動であることも伝えました。
 今年の事務局長、時田恭平さん(事務)は「平和を訴えることが主旨ですが、学習も重視しています。多職種で共に学び、交流して平和への見方が生まれる。 それをどんな形でもいいからアピールする。自分も変わっていきます」と。
 第一回から実行委員長を続けている山崎雅勇さん(釧路協立病院医師)は「この自転車リレーを起点に平和について考えて」と、毎年、参加者に呼びかけています。

(民医連新聞 第1552号 2013年7月15日)