生保でカンジャであたしの物語(6) 当事者の力を信じる“支援” 文:和久井みちる
長いことうつ病に悩んできた私が、本を書いたり、外で発言したりできるようになるまでに回復できた理由は、気持ちを楽にしてくれる本や人との出会いの数々があったからでしょう。
私は、経済的に貧困になった状況と反比例するように、生活保護を利用するようになってから、人間関係では以前より格段に豊かになりました。生活保護を利 用し始めてから知り合った人は、数百人に上ります。いわゆる支援活動に関わる方々、法律家の方々、学者さん、現場の職員の方々、そして当事者の方たち。で も、出会った最初の頃は、何をするにも支援者の方がすべての準備を整えて下さり、私は当事者として必要とされた場面でだけ何かを話すといった、「お客さん 当事者」という感じでした。それを何度か繰り返すうちに、これでいいのかな…という気持ちが湧くようになりました。
生活保護の問題は多くの方々にも影響を与える問題です。しかし、何よりも生活保護を利用している当事者の方々が、まず何に困ると思っているのか、そし て、どうなったらより良くなると思っているのかということに、しっかりと耳を傾けなくてはなりません。
しかし、ともすると「支援者による支援者のための支援」になってしまい、肝心の当事者が忘れられてしまっているのではと思うことがあります。そんな時、 私は遠慮しつつ意見を言ってみたりします。そんな私の発言にも、不愉快な顔をせず、大らかに受け入れてくださる周囲の方々のおかげで、私は安心感と共に自 由度を増し、自分の思ったことを思い切ってやってもいいのだと思えるようになりました。
やりたいことは自分たちで実現させたい。やってあげようと思うのは、「支援者のための支援」です。「やっていただいている」と、当事者本人たちは気づま りで、いつまでたっても対等な関係になれません。まず、本人たちの力を信じて引き出す。つかず離れずの距離感で温かく見守ることが、本当の支援ではないか と私は思っています。
(民医連新聞 第1546号 2013年4月15日)
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