パレスチナへ 医療支援は“大きな勇気” 北海道勤医協・札幌病院 猫塚義夫医師 (北海道パレスチナ医療奉仕団)
民医連の医師である猫塚義夫医師(北海道勤医協・札幌病院整形外科)は二〇一〇年、「北海道パレスチナ医療奉仕団」を結成。有志 の医療従事者とともに、中東のパレスチナで医療支援を行っています。昨年も一カ月にわたり医療支援を実施。活動の様子を、猫塚さんに寄稿してもらいまし た。
イラク戦争や「アラブの春」に象徴される中東問題の根源の一つは、パレスチナ問題です。こ れは、一九四八年、イスラエルの「建国=入植」に伴い、パレスチナの地から強制的・軍事的に離散を余儀なくされたパレスチナ人の帰還権をめぐる政治的な国 際紛争です。暴力的に土地を追われたパレスチナ人は、自治区内外で行くあてがなければ難民キャンプへ行かざるを得ず、パレスチナ難民問題は国際人道支援の 対象です。
二〇〇八~〇九年に行われたイスラエルによるガザ攻撃では、三一三人の子どもを含む一四一七人が殺害され、病院・学校、救急車も破壊されました。北海道 で行った抗議のデモで出会った仲間と、パレスチナへの医療支援ができないかを相談しました。二〇一〇年六月、当院の看護師・理学療法士と「北海道パレスチ ナ医療奉仕団」(HMS4P)を結成しました。
二回の事前調査を経て、ヨルダン川西岸のジェリコ市にあるアクバドジャベル(ABJ)難民キャンプ(RC)での医療支援を計画。昨年一一月二〇日から一 二月二〇日まで、団長の私のほか真崎茂法医師(外科)、清水幸恵さん(理学療法士)ら計六人で向かいました。
支援対象は、差別と貧困に苦しむ地域の住民です。支援の内容は現物や財政支援ではなく、あくまで人的支援(医師・看護師・リハビリ・ロジスティクスな ど)で、地域住民を主体にしたパレスチナの自立を助けるものと考えました。費用はすべて募金です(民医連の皆さんからも多くの募金が寄せられ、心からお礼 申し上げます)。
設備ない中、550人を診療
医療支援はABJ診療所を中心に行いました。週末は、分離壁に囲まれるシュファットRCやジェリコ市内での無料検診も実施。分離壁は、イスラエルが「テロリストの侵入を防ぐため」と称し、撤去を求める国連決議も無視して建設をすすめているものです。
約五五〇人の運動器疾患の患者さんを診療し、うち二五〇人に運動療法を指導。変形性膝関節症、腰部椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症、頸椎症などで、肥満の 人が多く、膝関節や腰椎への負担が過重なことがうかがわれました。糖尿病に合併する足病変も多く、フットケアの一環で「湿潤療法」を紹介し、好評でした。 創傷への湿潤療法も歓迎され、キャンプ内での在宅医療に応用できました。
レントゲンや検査設備がなく、問診と診察だけのプライマリ・ケアの始まりを体験するものでした。医療活動の「原点」に立ち返る必要性を再認識させられました。
銃剣下での検問
ヨルダン川西岸地区はパレスチナの自治政府の管理下でありながら、現在もイスラエルの軍事占領下にあります。西岸内を移動するにも検問所を通過せねばならず、イスラエル軍や民兵の銃剣下でパスポートの確認を迫られました。
入植反対のデモにも参加しました。参加者は「フリー、フリー、パレスタイン!」(パレスチナに自由を)を掲げ、平和的に入植反対や分離壁の撤去を訴えています。
このデモに、イスラエル軍が分離壁の向こう側から催涙弾、音響爆弾(猛烈な大音響が出る)、ゴム弾(実弾をゴムで覆ったもの)、プラスチック弾などを撃 ち込んできます。実は毒ガスである催涙弾を私も吸引しましたが、悪臭とともに激しい嘔吐と呼吸困難が二~三分続き、命の心配が頭をよぎりました。最初は空 に向かって撃ち込みますが徐々に水平撃ちになります。この実弾で年に数人が殺傷され、時にはイスラエル兵が分離壁を乗り越えて侵攻し、パレスチナ人が拉 致、拘束されることもあります。理由もなく子どもが射殺されることも稀ではありません。ここで生まれ、生活せざるを得ない難民を思うたびに胸が痛みます。
そうした中、自治政府立ナジャハ大学医学部の学生六人が見学に来ました。パレスチナからの出入国が困難で、日本の医療関係者との出会いを渇望していたと のこと。パレスチナの明日を担う若者たちのエネルギーを感じました。
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医療支援は、その効果はもちろん、難民の人々に大きな勇気となります。今回の支援活動では現地の医療関係者や国連パレスチナ難民救済事業機関 (UNRWA)とも連携でき、今後の支援活動に大きな力になりました。
今年も一歩すすんだ「医療支援」を予定しています。パレスチナ問題や海外難民医療支援に関心のある方はご連絡ください。
(民医連新聞 第1543号 2013年3月4日)