診察室から 大阪・西成の地から(上)
もう医者としての生涯の半分以上を、この大阪・西成でおくったことになります。人生を振り返る習慣は持ち合わせてはいませんが、この原稿の依頼があった のも、何かの巡り合わせかもしれません。少し古い日記や、最近になってFacebookやブログに書いたものを再編成して、投稿に代えます。
【一九九三年某月某日】
ドイツの哲学者だったかが、人間、四〇代以降になると、ふと人生の深淵を経験し、そこでは、日頃考えられないような“使い込み”などの悪事に手を染める と言っている。もちろん、当方“指弾”されるようなことはしていないが、考えようによっては、これも“転機”なのだろう、明日からは、ひたすら“研修”の 身である。
五年(いつとせ)にあまし得たるは、何の名ぞ、夢半ばにして小児科を去る[注‥杜牧(中国の詩人)の詩「十年一たび覚む、揚州の夢、あまし得たるは青楼薄倖の名(妓楼でのプレイボーイの評判)」をもじって]
【一九九五年某月某日】
先日、大阪民医連のNさんに案内してもらった西成の街。どこか戦災にあわなかった故郷京都に似て懐かしい、診療所での第一日。
【一九九六年某月某日】
患家に隣接した家から「ラジオの音が昼夜聞こえる」との通報。立ち会ってもらい、ちゃっちい鍵の玄関を蹴破る。なかには、家の住人が斃(たお)れていた。死後、一日は経過しているか?
【二〇〇一年某月某日】
「あいりん地区」のドヤ街で、入口に眼光鋭いお兄さんが立っている。内心ビビって横を通ると、当方の白衣を見て「往診ですか? どうもご苦労様です」と 丁寧な挨拶。室内には排泄物の溜まった牛乳パックが林立。倒れないように抜き足差し足して診察する。
もう一軒、旧飛田遊郭街へ、玄関先の座敷に、着飾ったお姉さんが座っている。まだまだ“現役”なんだ! Deep Osakaを実感。[注‥たぶんア パート内で「賭場」を開いていたのでしょう。この地は、映画「おとうと」のロケ地です。飛田には、大正ロマン香る遊郭そのままの料亭があります。]
(大里光伸、西成民主診療所)
(民医連新聞 第1543号 2013年3月4日)
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