• メールロゴ
  • Xロゴ
  • フェイスブックロゴ
  • 動画ロゴ
  • TikTokロゴ

民医連新聞

民医連新聞

みんいれん60周年<沖縄> 基地と貧困の島で まっすぐ掲げたいのちの平等

 沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなり、本土復帰後も米軍基地に生存権を脅かされ続けている沖縄。日本の矛盾が顕著なこの地で、沖縄民医連は真っ直ぐにいのちの平等を掲げ、県民の健康と平和を守ってきました。全日本民医連60周年企画の3回目は沖縄です。(新井健治記者)

死亡診断書を書く往診

 沖縄に民医連が産声を上げたのは、本土復帰二年前の一九七〇年一二月一四日。沖縄民主診療 所(現・那覇民主診療所)の開設でした。六日後には、コザ市(現・沖縄市)でコザ事件が発生。車で地元の女性をひき殺した米兵が無罪になり、県民の怒りが 爆発したのです。まだ米軍の植民地で、県民の人権は踏みにじられていた時代。診療所に最初に赴任した職員九人には、命がけの挑戦でした。
 「一九六〇年代の祖国復帰闘争の最中、ある日、突然いなくなった人がいた。“消された(殺された)”わけです」と振り返るのは仲西常雄医師(69)。沖 縄民医連の基礎を作った仲西さんは、定年後も訪問診療で患者宅を回ります。
 開設当時、沖縄の医療環境は極めて劣悪でした。医療機関数は全国平均の二分の一、医師、看護師数は三分の一。すべてが米軍優先で衛生状態は悪く、伝染病罹患率は全国平均の一〇倍でした。
 不十分な医療保険制度のため、多額の現金を用意しなければ受診できません。民医連の医師は患者の元へ、積極的に往診に出かけました。「胃潰瘍による重度 の貧血患者への輸血、喘息の重積発作の人には、朝昼晩と点滴に通いました。辛かったのは、死亡診断書を書くためだけの往診です」と仲西さん。往診以外にも 看護師の訪問リハビリや夜間外来、夜間透析、出張健診など先駆的に県民の要求に応えました。
 県内初の職業病認定も勝ち取りました。一九六四年に始まったベトナムへの米軍の本格的介入で、沖縄は米軍の出撃基地に。県民は基地で過酷な労働に従事、 キーパンチャーとして働いていた女性たちは、重症の頚肩腕(けいけんわん)症候群で悩んでいました。県内全ての主要病院を受診しても、米軍を恐れて職業病 申請の診断書はもらえず、最後に辿り着いたのが民主診療所でした。初代の島袋博美所長の診断書で、瞬く間に四〇人が労災と認定されました。
 診療所の開設からわずか六年後に沖縄協同病院がオープン。本土では考えられない速度で病院へ発展しました。「急成長の背景には、米軍占領下で二七年間に わたる勇敢な県民のたたかいがあった。その豊かな土壌に私たちが一粒の種を蒔き、医療生協の組合員や職員が水をやり、大事に育ててきたのです」と仲西さ ん。今では三病院、六診療所を擁し、職員数は九人から一五〇〇人に増えました。

6000件の米兵犯罪

 沖縄には今も在日米軍基地の七四%が集中、米軍機の事故は復帰後だけで約五〇〇件、米兵犯 罪は六〇〇〇件近くにのぼります。一九九五年には米海兵隊員の少女暴行事件が起き、八万五〇〇〇人が抗議集会を開催。二〇一〇年の普天間基地県内移設反対 集会は九万人、昨年九月のオスプレイ配備撤回集会は一〇万人が参加しました。
 今年一月には県内四一市町村すべての首長が上京し、オスプレイの配備撤回と普天間基地撤去を安倍首相に直訴。思想信条を超えて基地撤去が県民の総意になりました。日米安保条約そのものも問われはじめています。
 沖縄民医連は組合員とともに、さまざまな団体と協力して平和や社会保障を守る運動の先頭に立ってきました。県連の辺野古新基地建設阻止のたたかいに呼応 し、二〇〇四年から全日本民医連の「辺野古支援・連帯行動」が続いています。東村(ひがしそん)高江のヘリパッド建設でも、昨年一二月から反対運動への全 国支援が始まりました。県連のたたかいに全国が連帯するのは、祖国復帰闘争から続く伝統です。
 基地は沖縄の経済発展を阻害してきました。失業率は全国一高く、県民所得は全国平均の七割ほど。貧困のため十分な教育を受けられず、そのことがまた貧困 を生む、“貧困の連鎖”が続いています。「人権を保障するのは医療と教育。この二つを十分に受けられてこそ、人として発達できるからです」と仲西さんは言 います。

福祉にも活動広げる

 沖縄民医連は新たな発展の段階にあります。沖縄医療生協、沖縄健康企画、メディコープおきなわの三法人に加え、今年五月に四つめの法人「社会福祉法人沖縄にじの会」ができ、仲西さんが初代理事長に就任する予定です。
 沖縄で特別養護老人ホームの待機者は四〇〇〇人を超えています。にじの会は県内各地で特養を運営する予定で、医療から介護へ活動の幅を大きく広げます。
 「いのちを預かる医師にとって、一番大切なのは平和」が仲西さんの原点。「生活を丸ごと捉える視点がなければ、患者の立場に立つ医療はできません。若い 職員は、まず自分の足元をしっかり見てほしい。その足をどこへ踏み出すか、おのずと分かるはずです」。

(民医連新聞 第1543号 2013年3月4日)