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民医連新聞

民医連新聞

ビキニ核実験から59年  死の灰浴びた 南の島へ

 日本原水協「マーシャル諸島ロンゲラップ島民支援代表団」が1月13~22日に行った現地調査に、全日本民医連から被ばく問題委 員の牟田喜雄医師と、小抜勝洋さん(福島・郡山医療生協、事務)が派遣されました。ロンゲラップ島は1954年にアメリカが行ったビキニ環礁の水爆実験で 放射能に汚染され、400人の島民は59年を経ても帰島できず、またその多くが被ばくによる健康被害に苦しんでいます。島民の健康状態と島の汚染状況は ―。牟田医師の報告です。

「ロンゲラップ島民支援代表団」報告
牟田(むた)喜雄医師(熊本・平和クリニック所長)

 代表団一行はグアム経由でマーシャル諸島へ。グアムでは現地の平和活動家や準州議会議員と懇談。アメリカの統治下で自治権は制限され、グアムにもオスプレイが配備されたこと、失業率や貧困率が高いことを聞きました。
 ロンゲラップ島の島民は、放射能から逃れるために、今はマーシャル諸島の首都マジュロ環礁などに住んでいます。
 目的地マジュロには夕刻到着の予定でしたが、飛行機のトラブルで、米軍基地があるクワジェリン環礁へ着陸。基地労働者が多い近くのイバイ島へ立ち寄りました。
 イバイ島では被ばく者七人の聞き取りと診察をしました。核実験当時のロンゲラップ村長で、来日して窮状を訴えた故・アンジャインさんの墓参りも。
 マジュロ到着後は、ロンゲラップ自治体事務所で住民の聞き取りと診察をしました。当時、死の灰を浴びた一次被ばく者七人(一人は胎内被ばく)を含め、三 八人から聞き取り。甲状腺がんの手術をした人や、流産、死産の経験者が多いのが特徴で、乳がん患者もいました。
 尿や血糖検査、血圧測定も実施。全体的に肥満体型で糖尿病が非常に多く、血糖値三〇〇以上という人も目立ちました。高血圧や膝、腰に痛みを抱える人もお り、島を離れ生活習慣が変わった影響かもしれません。未治療の人も多く、数人に紹介状代わりに問題点をメモして渡しました。診察で咳と肺雑音を認めた一人 が、後に入院になったそうです。

除染は1割ほど

 一八日は空路でロンゲラップ島へ。景色はすばらしく、放射能さえなければまさしく楽園です。気温は三〇度ほどですが、海風があり、さほど暑くありません。一九九六年のアメリカとの再定住協定に基づき、四九軒の新居が建設されており、工事作業員約七〇人が住んでいました。
 空間線量を測ると、高い個所で年間〇・二ミリシーベルト。除染が済んだのは島の面積で一〇%の居住区域に限られており、汚染食品を食べて内部被曝する恐 れがあります。ホールボディーカウンターの内部被曝測定体制は整備されていましたが、食品の線量測定体制はありませんでした。
 作業員は、除染されていない他の島(環礁は四二ほどの島からなり、北部は汚染が強い)へ時々ボートで渡り、ヤシガニなどのローカルフードを捕って食べていると話しました。

消えぬ島民の不安

 マジュロでの島民集会には約四〇人が参加、内部被曝の健康影響について私が簡潔に説明しました。マジュロには病院が一つしかなく、私たちの診察や健康相談は大変感謝されました。
 アメリカは安全を宣言し、ロンゲラップへの帰島をすすめています。しかし島民らは「安全でないと思うので帰らない」「帰島したいが、子や孫への影響が不 安。すぐに帰島はできない」と考えています。 核実験を知らされぬまま被ばくし、避難させられ、その三年後にアメリカの安全宣言で帰島したものの、がん、 白血病、流産、先天障害などが多発して、八五年に再び離島せねばならなかった辛い記憶があるからです。
 マーシャル政府のロンゲラップ島選出上院議員や、大統領補佐官、ロンゲラップ市長とも懇談しました。「島は除染で安全になり、帰島は問題ない」との意見 がある一方で、「除染は不完全で、ロンゲラップ島以外の島も除染すべき」「アメリカは核実験の被害についての資料を公開していない」「補償が不十分」 「チェルノブイリ、ヒロシマ、ナガサキと比較して、ロンゲラップの被ばくはまだ知られていないので世界に伝えてほしい」などの意見がありました。各地で心 のこもった歓迎を受けました。今後も協力していきたいと思いました。

「消えた歴史」にしてはならないビキニ核実験の被害
被爆は第五福竜丸だけでないマグロ漁船992隻が

■島民たち…一九四六年から五八年、アメリカがマーシャル諸島で行った核実験は六七回を数え た。なかでも五四年三月一日のビキニ環礁での水爆実験は広島型原爆一〇〇〇発分に相当する規模で、ロンゲラップ島にも大量の死の灰を降らせた。島民たちの 被害は報告のとおり。アメリカは九〇年代に入ってようやくこの責任を認め、除染や復興事業を行い、安全対策が完了したとして帰島を呼びかけている。
 民医連は今まで四度の現地視察に参加し、被爆国の医師による診察を求める島民たちに応えてきた。
■日本のマグロ漁船…ビキニでは、第五福竜丸の被ばくが知られている。だが当時、日本から漁に来ていた多くのマグロ漁船が、同じように死の灰を浴びてい た。判明しているだけでその数九九二隻。操業中に、キノコ雲を見たり白い灰を浴びた漁師たちもいた。しかしその七カ月後、アメリカが日本に二〇〇万ドル (七億二〇〇〇万円)を支払い、事件は幕引きされた。日本政府はこれを機に、水揚げされた魚の汚染測定も行わなくなった。
 「この問題を歴史から抹消してはならない」と、八〇年代から教員や高校生たちが漁師の聞き取り調査にとりくんでいる(高知)。昨年発表のドキュメンタ リー映画「~放射線を浴びた~X年後」もこの問題を追った作品。「原発事故が起きた今、過去の被ばく事件を未精算のまま放置していては、今後起こりうる被 害が防げない」と伊東英朗監督(愛媛・南海放送)は語る。

ロンゲラップの経験を福島へ 福島の経験をロンゲラップへ
小抜(おぬき)勝洋さん

 ロンゲラップ島の空間放射線量は、私が働く福島県郡山市より随分低いことに驚かされまし た。しかし、放射線量は低くても、帰島はすすんでいませんでした。福島では当たり前になった(なってしまった…)「モニタリングポスト」「食品放射能検 査」「健康管理体制」など、島民には客観的な事実を手に入れるすべも、島の現状の公開もないままだからです。これでは放射能汚染に対する「不安」や帰島を 促す意見に対する「不信」を拭い去ることができません。
 今回の苦い経験は、福島で数年先(あるいは遠い未来)に起こるかもしれない被害に不安を抱えている私たちに、正しい事実と情報を求める運動をすすめるこ との必要性を教えてくれました。福島で住み続けるために、粘り強く求め続けなければならないことです。
 また、島民のみなさんとの交流会では、福島の経験と郡山医療生協の「核害」に対するとりくみをお話しさせて頂きました。「福島の話が参考になった」との 感想は素直に嬉しく、苦しみも含めて、気持ちが届いた気がしました。
 ロンゲラップも福島も、土地への愛着や思い、故郷に帰りたいという願いは同じです。放射能汚染で土地を追われた共通の苦い経験を風化させてはなりません。

(民医連新聞 第1542号 2013年2月18日)