相談室日誌 連載365 生活保護で新たな人生を迎えた 伍賀道子 (石川)
「かなざわ夜回りの会」からの一報で、私たちはAさん(七〇代、男性)を知りました。「地下道で両足を腫らしている」という連絡から待つこと三日、Aさ んが来院。両側下腿から足背にかけて浮腫と熱感があり、蜂窩織炎(ほうかしきえん)の診断で入院となり、初期対応にSWが介入しました。
Aさんは自称「コケ取り名人」、コケとはキノコの方言。道の駅や車椅子用トイレ、バス停のベンチなどで寝泊まりするホームレスでした。父親を戦後早くに 亡くし、母親は一人で八人の子どもを育てました。そのためAさんは、中学卒業後、運送や漁業などの仕事に就くも、事故で身体を痛め、生活苦に。その上二度 の離婚も経験。生活保護を受けたこともありましたが、制度の縛りや負い目のある生活に嫌気が差し、その頃にコケ取りを教えてくれた人との出会いで、三〇年 近くこの「職」に就くことに。
Aさんは礼儀正しく、身なりにも清潔感があります。丁寧なその対応の所以を伺うと「コケ取りという商売でもお客様は神様。こちらの態度で足元をみられる ことになりますので」と。まさに、商売人として歩んできたことが分かります。しかし、能登方面を中心とするコケ取りの突き刺さるような寒さはAさんには厳 しく、「冬は持ちこたえられない」と思ったそうです。
その経過もあり、新生活の決意をしたAさんは、入院中に生活保護を申請。約一カ月の治療を経て、一二月末に退院し新居に入りました。Aさんは入院中か ら、新生活に向けて友の会から衣類のカンパをもらったり「生きがいセンターまつもとてい」で食事をしたり、「こんなに優しくしてもらったのは久しぶり」 と、顔をほころばせました。入居当日も「三〇年ぶりに紅白歌合戦を聴けます」と、生活保護費で購入したラジオを嬉しそうに見つめていました。またその手に は、まつもとていの新年会チケットが大切に握りしめられていました。
二〇一二年は生活保護で新たな人生を迎えた人たちと多く出会いました。しかし国民の生存権が危うくなろうとしている二〇一三年。SWは、ひたむきに生き ようとする人の姿を、憲法二五条とともに皆さんに伝えていきます。
(民医連新聞 第1542号 2013年2月18日)