遭遇したことのない被害と向き合う“チーム毒ガス” 遺棄兵器問題
第二次世界大戦に敗れた旧日本軍は、中国や日本で毒ガスなどの化学兵器を川や地中に遺棄しました。それから約七〇年近く経たいまも、その有害物質に曝露する事件が発生。補償や治療を求める被害者を、民医連医師たちが支援しています。(木下直子記者)
■救われぬ被害者たち
中国で遺棄兵器に触れた人たちには皮膚のびらんや呼吸器障害などが起きました。急性症状がおさまった後も後遺症に苦しみ、大人は働けず、子どもは勉強を 続けることが困難に。日本政府は遺棄化学兵器の処理について中国と「覚え書き」を交わしましたが、被害者救済には目を背けています。
賠償はおろか生活や医療の保障もない中国の被害者たち。日本の弁護士集団が支援し、日本に賠償を求める訴訟が起こされ、医療面での助力を民医連に要請し ました。二〇〇六年、第一次検診の医師団が検診に現地に渡りました。
第一次に参加した藤井正實医師(東京・芝病院)は、呼吸器や皮膚症状以外に被害者が疲れやすさや動悸、発汗などを訴えることに自律神経系の異常を疑いま した。化学兵器に曝露した患者に日常診療で遭遇することはまずありません。医師も手探りです。そこで〇八年の第二次検診には、神経内科の橘田亜由美医師 (東大阪生協病院)が加わりました。
橘田医師は、被害者に広範囲の自律神経症状を確認、藤井医師の着目した通りでした。予想外だったのは「すぐ忘れる」「ものがゆがんで小さく見える」など 高次脳機能障害のような訴えがあったこと。教科書にもなく、神経内科医師として遭遇したこともなかった患者たちでした。
一〇年の第三次検診には、高次脳機能障害に詳しい磯野理医師(京都民医連第二中央病院)が参加。多くの被害者に高次脳機能障害があることがわかりました。
そして、一二年の第四次では、地元・中国の医師との合同検診が初めて実現しました。記憶障害がとりわけ深刻に出ている子どもの診断には、発達障害専門の 中川元医師(大阪・耳原総合病院)が呼ばれました。事件に関わる人は増えていきます。橘田医師が「チーム毒ガス」と呼ぶ集団に。
■どんな思いで関わったか
中国の被害者たちが日本に謝罪や賠償、再発防止策などを求めた裁判には勝てていませんが、日本の事件では昨年、公害として訴えていた神栖の被害者三四人に 勝利の裁定が出ました。旧日本軍が使った有機ヒ素化合物が井戸水に混入し、子どもを含む住民に健康被害が起きた事件です。有害物質の保管義務を怠った国の 責任は認められなかったものの、地下水への混入を知りつつ、対応を怠った茨城県に賠償命令が出ました。
この事件では前出の中川医師が活躍。チーム一の若手ですが日本では数少ないイギリスの発達障害の専門資格の保持者。神経発達の途上で有害物質に曝露した 子ども六人に発達障害状の影響が出ていました。しかし行政側の医師はヒ素の影響を否定、「被害者の嘘」とまで。反論の必要がありました。診断器具を抱えて 神栖へ。結果、発達障害は通常にないほど重く、発生状況から環境によるとしか考えられないことを認めました。
「正直、僕みたいな医師八年目の若造が、被害児の人生がかかった問題で東大教授に反論するという任務は重圧でした。法廷では、親御さんの前で“子どもの 障害は重く、将来にわたるものだ”と証言するのも辛かった。でも、過去のはずの戦争の被害が、いま目の前で起きていると思うと驚くほど怒りがわいて…。事 件には政府が触れたくない『戦後補償』の問題が絡んでおり、その意向に沿って患者を否定する医師たちにも負けたくなかった」と中川医師。
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医学生たちに事件について報告した弁護団の南典男弁護士は、誰もやらなかった事件に協 力した民医連に感謝し「実態解明の決め手は被害者の話を信じられるかどうか。被害者に会うことは、医師にも弁護士にも必要な現場主義」と語りました。来月 には第五次検診が中国で予定されています。
民医連のフィールドは一つの地域にとどまりません。日常診療に従事するかたわら、公害や薬害、労災など、社会問題に起因する健康被害に、技術や知識をフ ル稼働させ、被害者とともにたたかう―この事件にもそんな姿があります。
(民医連新聞 第1541号 2013年2月4日)