私の3.11 (7)福島 白石好美さん 原発労働者の思いにふれて
東日本大震災に関わる思いを職員が語る連載、再開です。今回は福島のケアマネジャーからの報告です。
郡山医療生協(福島県郡山市)は昨年一一月から、原発事故の避難者が身を寄せている民間の借り上げ住宅を訪問しています。
仮設住宅には民間ボランティアの支援がありましたが、借り上げ住宅に住む避難者への支援は限られており、県中保健福祉事務所の情報交換会では「個人情報 の壁に阻まれ、住民の健康状態が把握できない」との報告もありました。そこで桑野協立病院に受診歴のある人を、職員と組合員が訪問することにしました。
この活動で最初に出会った人がAさんです。肺気腫と喘息を患いながらも、治療を中断していた人でした。事前に電話連絡をした時の声が息苦しそうだったため、急いで訪問。そこで私はAさんの話に衝撃を受けました。
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Aさんは東京電力の下請け作業員として、福島第一原発に三〇年間勤めていた人で、仕事中に原発事故に遭いました。
家族と郡山市に避難するも、事故処理のため、避難所から第一原発の現場へ通いました。Jビレッジに設置された五〇〇人収容の宿泊施設は、一人四・五畳の 部屋と共有のシャワー、食堂だけで、入浴施設はありません。勤務は一週間交代で、早朝と深夜の勤務には食堂が開いておらず、持参したカップメンや缶詰など で間に合わせました。線量計を持たずに現場へ向かう人もいるとのことで、過酷な労働実態が分かりました。
しかし昨年九月、Aさんは体調を崩して現場に入れなくなり、休養するよう診断書が出ました。それからというもの自宅から一歩も外に出ることができなくな り、部屋で飲酒をする毎日。一・八リットルの焼酎を一日で飲み干す日もありました。「俺は今、何をやっているんだろう」と話すAさんは、仕事への誇りや健 康な身体、故郷、全てを失っていました。
Aさんは言いました。「原発廃炉、脱原発は分かる!だけど、もっと俺たち現場で働く者のことも考えてくれ!」と。初めて原発で働かなければいけない人の思いを聞きました。
私は、原発をすべて廃炉してほしいと考えていましたが、原発を廃炉にするために働く人の環境の問題を考えたことはありませんでした。実際に会って話をす ることで「もっと、俺らのことを見てほしい」というAさんの気持ちを強く感じました。今、心療内科の受診をすすめています。私よりも若く、まだ働ける人が このような状態になる原発事故の深刻さを改めて感じました。
深刻な状況は原発労働者だけではありません。ケアマネとして関わる仮設住宅の高齢者も大変です。以前は広い家で大家族で暮らしていた七〇代の方は、家族 と離れ離れで知り合いもいない仮設にいます。壁が薄く寒い住宅に「箱の中に押し込められている」との声が聞こえてきます。認知症の進行も心配です。
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この訪問を通じて、原発事故が被災者に残す深い傷を改めて感じました。私たちは今後も避難生活を強いられている人の思いに寄り添いながら、原発事故で起こったことを一つひとつ確認していきたいと思います。
そして全国の仲間に、福島では私たち職員を含め、多くの人が放射能の不安の中で生きていること、今も大変な状況にあることを知らせたい。避難者の生存権 を守るためにも、福島で生きる人の思いをくんだ、補償と支援を国に求めます。(郡山西部地域包括支援センター・主任介護支援専門員)
(民医連新聞 第1540号 2013年1月21日)