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民医連新聞

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青年たちと何をどう語るか ―教育委員長会議・学習講演から―

 一〇月の全日本民医連教育委員長会議で、愛知県立大学准教授の久保田貢さん(社会科教育、平和教育)が「青年を巡る状況と教育の 力」と題して講演しました。久保田さんが向き合う学生の姿を紹介し、青年たちの特徴と、私たちがどう接していくことが求められているかを語りました。

愛知県立大学准教授 久保田 貢さん(教育学)
新自由主義のもとで

 青年たちは、どんな環境で育ってきたのでしょう。
 日経連(当時)が、終身雇用をやめて非正規雇用を増やすとした「新時代の『日本的経営』」を発表したのが一九九五年。この年、阪神淡路大震災とオウム真 理教による地下鉄サリン事件という二つの出来事がありました。子どもたちに「終わりは来るんだ」と大きな喪失感を実感させたと言われます。
 二〇〇一年に小泉内閣誕生。大リストラが横行し、医療制度が改悪されました。新自由主義的構造改革が本格的に始まりました。
 構造改革が始まる前の八〇年代に「企業社会」が完成し、「消費文化」が根付いていました。消費行動とは「私がお金で物を買う」という極めて個人的なもの で、人間関係をバラバラにします。教師や親のような「目上」の人が存在せず、人生の指針を示すよりどころも見えなくなりました。
 教育現場では、エリートの早期選抜・育成を強化。「ゆとり教育」を作った三浦朱門氏(教育課程審議会元会長)は、「できん者はできんままで結構。できる 者を限りなく伸ばす。できない非才・無才には、実直な精神だけ養っておけばいい」と言っています。
 学校では「キャリア教育」も始まりました。正規雇用を増やさず、労働者の権利を教えないまま、「働く意欲」「就労するための勤労観」だけ育てる。「ニー ト」「勝ち組」「負け組」という言葉が流行し、「働けなければニートになる」とあおられ、競争させられています。
 日本の高校生は諸外国に比べ、イライラやむなしさ、寂しさ、疲れ、緊張が非常に強いという調査もあります(図1、2)。安心感や満足感が育まれていない ことも背景にあります。排他的な競争は寂しさをもたらし、「過剰な配慮」をしながら友人と付き合う。これがまた、彼らを苦しめています。
 同じ時期、「自立」と名のつく政策が相次ぎました。「ホームレス自立支援特別措置法」「若者自立・挑戦プラン」などで、すべて就労の「自立」を強調して います。「働くことが自立」であり、国は「社会福祉制度から自立を」と言い続けました。
 社会や学校、地域、家庭の解体の背景には、確実に新自由主義的構造改革があります。こうした状況をくぐり抜けてきたのが、今の青年たちです。

生活と社会のかかわり

 青年たちは、自分たちの生きる社会をどう認識しているでしょう。この間、社会科ではまともな授業ができず、自由に教えられなくなりました。そのことが、青年たちの社会認識に大きく影響しています。
 ゼミの学生たちは戦後史をほとんど知りません。福島市にある「安保廃棄の碑」の写真を見せると、学生は「あほうはいき?」と読みます。近現代史の授業で は「在日コリアンは今もいるのですか?」という感想が出ます。
 新聞はほとんど読まず、「読書好き」でも中身はマンガが圧倒的。ですから、自分で情報をキャッチできません。もともと社会について教えられていないので、ネットやテレビの情報にすぐ左右されてしまう。
 教員をめざす学生でさえ同様です。憲法学習が空洞化しているうえ、労働運動を知らず、社会への異議申し立ての方法や必要性が理解されていません。
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豊かな「物語」を描くために

 自分がどういう生き方をしてきて、これからどう生きていくのか。どう社会と関わるか。それを「物語知」と言います。夢や希望と言い換えることもできるでしょう。教育学で言う「三つの知」の領域の中で、もっとも大事なことです。
 残り二つは、学校などで得る「分析知」、日常生活や体験から得る「経験知」です。学び、経験したことを、今度は「物語知」という形にし、人生や社会につ いて見通しを得るのです。人に自分の物語を伝えたり、人の物語を聞いて自分の物語を豊かにしたり、そういう関係性の中で発展します。
 例えば、「セシウム」。多くの人は名前しか認識していなかったでしょう。しかし福島第一原発事故を経験し、理解を深めました。だから「原発のない社会に しなければダメだ」という物語を描く。福島の被害者の声を聞き、原子力について学び、脱原発デモに参加し、他者と関わるなかで物語を膨らませていきます。
 ところが青年たちは、そもそも必要な知識は教えられておらず、経験も乏しい。常に緊張し、警戒しながら他者と関わっている。彼らの物語は薄く弱く、はかなくなってしまいます。
 青年が豊かな物語を描くために、彼らの生活と社会が実は深く関わっていることを、私たちは丁寧に教えなければなりません。その前提として、彼らがどんな ことを思い、どんな要求を抱いているのかを“聞く”ことが、まず必要です。
 彼らは不安で、緊張しているので、ケアも必要です。「できる人」「できない人」という言い方など、新自由主義的な能力観には気をつけましょう。
 もう一つは、「他者との関わりの場」を設定することです。医療の場では社会的弱者や被害者を想定するかもしれませんが、同時に、社会的弱者をささえ、奮 闘する人たちです。皆さんも若い頃、少し上の先輩はキラキラして見えたでしょう。それはいまの青年も同じです。二〇代後半~三〇代が運動の先頭に立ってい る姿は刺激的です。
 ともすると、愚痴っぽく活動する姿を、青年に見せてはいないでしょうか。そうではなく、私たちの働きかけが社会を動かしている事実を、伝える必要があります。
 例えば、九〇年代末に計画された沖縄・普天間基地の辺野古移転は、なぜ一五年以上たった今も実現できないのか。九一年、湾岸戦争のときに自衛隊が初めて 海外に派遣されましたが、いまだに本格的な戦闘に関われないのはなぜか。沖縄のたたかいがあったから、全国に六〇〇〇、七〇〇〇と広がった九条の会の草の 根の運動があったからです。私たちの運動で社会が変わってきたことを伝え、きちんと学ぶことが大事です。
 九月九日、長野県民医連で憲法九条を守るとりくみに参加しました。七時半頃からたくさんの職員の方が集まって準備し、九時九分には色とりどりの風船を飛 ばしました。二〇~三〇代の職員が青年の声を丁寧に聞きながらすすめていました。地道なとりくみが地域の平和運動を守っていると実感しました。
 皆さんの運動は、第三者から見るととても力強く、豊かなものです。そこに自信をもって、青年たちに伝えていってほしいと思います。

(民医連新聞 第1538号 2012年12月17日)