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民医連新聞

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学んだ汚染の実態と市民の力 全日本民医連 チェルノブイリ原発・ドイツ環境政策視察報告

 全 日本民医連「チェルノブイリ原発・ドイツ環境政策視察ツアー」が九月二二~三〇日に行われ、医師一一人、研修医一人を含む二〇人が参加しました。一行は チェルノブイリ原発を間近に見学。事故から二六年経った今も健康被害に苦しむウクライナの実態と、脱原発を果たしたドイツの再生可能エネルギーを学びまし た。視察団副団長で全日本民医連理事の竹内啓哉医師(神奈川・協同ふじさきクリニック副所長)の報告です。(稲原資治)

ウクライナ 深刻な健康被害

9月23~26日

私より娘、娘より孫

shinbun_1535_01  視察のスタートはウクライナの首都キエフ。ここでチェルノブイリ原発から四kmのプリピャチ市から避難してきた住民の互助組織「ゼムリャキ」と懇談しまし た。「政府が貧しいため、制度としては認められても、原発事故の被災者に補償がない」「今も先天性異常の子どもが生まれる」「被曝で夫を亡くした未亡人だ けが住むマンションがある」など胸の痛む話が続きました。
 なかでも「私より娘、娘より孫のほうが健康状態はよくありません」との発言には背筋が寒くなりました。原発事故当時、子どもだった娘が成長して結婚し、生まれた子どもにまで被曝の影響が出ているというのです。
 プリピャチ市には事故情報が即座に伝えられず、避難指示が出るまで四六時間、何も知らない住民たちは高線量に汚染されました。放射線被曝がもたらす健康被害の怖さを実感しました。

石棺の圧倒的な存在感

shinbun_1535_02  三日目はいよいよチェルノブイリ原発の見学です。まず、原発から五km地点のコパチ村へ。大木の根元に線量計を向けると八マイクロシーベルトを示しまし た。廃墟の幼稚園には、ぬいぐるみやキリル文字のポスター。二六年前に唐突に打ち切られた生活を、朽ち果てた園舎がとどめていました。
 続いてチェルノブイリ原発へ。四号炉の石棺の圧倒的な存在感。アラームが鳴り響く線量計が示したのは一〇マイクロシーベルト。一年で八七ミリシーベルト の計算です。石棺のコンクリートは老朽化してひび割れ、放射線が漏れています。石棺を外側から覆う巨大な屋根を建造中でした。
 その後、廃墟のプリピャチ市を見学。原発三〇km圏内の強制移住区域で、移住を拒否して住み続けている老夫婦も訪問しました。

健康な子どもは1%

 四日目はチェルノブイリ原発から西へ七〇kmのナロジチ地区へ。事故後二日目に風向きが変わって汚染された地区で、「強制移住区域」「移住勧告区域」「放射線管理区域」が混在。事故前に三万人だった人口は一万人に減り、子どもは二割です。
 地区の中央病院でパウロ副地区長とマリア院長に迎えられました。パウロさんは、三歳までの子ども手当や早期の年金支給、非汚染地域へのリゾート休暇や交 通費の保障など政策を説明。「避難者に医療、住宅、仕事を保障する責任は国にある。汚染地域の人に安全な食品を提供することも重要」と話しました。ただ、 ウクライナのエネルギー政策は今後も原子力と太陽光の二本柱だそうです。
 マリア院長と小児科医長のオレーナ医師は「地域で完全に健康な子どもは一%もいない」と話しました。この時の私の理解は「風邪など感染症にかかりやすい のかな」という程度。帰国後『低線量汚染地域からの報告』(NHK出版)を読むと、ウクライナの小学生が「時々、意識を失う」「朝起きると関節が痛み、ひ どい時は救急車で運ばれた」「頭痛で毎日薬を飲む」など、高齢者のような症状があると書かれており、自らの無知を痛感しました。
 五日目はキエフ市内のチェルノブイリ博物館へ。入ってすぐ「栗の木から桜の木へ」と書かれたモニュメントが。チェルノブイリの栗の木の妖精が、福島の桜 の妖精にエールを送っているとのことでした。汚染で廃村になった村名のプレート、事故の収束で殉職した消防隊員らの写真を展示した部屋、赤鉛筆で丸や矢 印、ロシア語がなぐり書きされた地図が、事故当時の緊迫感を伝えていました。

ドイツ 市民主体の再生可能エネルギー

9月27、28日

粘り強い脱原発運動

 六、七日目はドイツで脱原発と再生可能エネルギーを学びました。まずドイツ南部、ライン川に近いヴァイスヴァイル村で原発建設反対運動の元指導者と懇談。一九七〇年代に近隣のヴィール村で原発建設計画が持ち上がり、住民の粘り強い反対で撤回させました。
 日本では福島原発事故を受けてドイツが脱原発を選択したかのように報道されていますが、実際は三〇年以上前から続く住民運動が結実し、既に二〇〇二年に 脱原発を決議していました。現政権のメルケル首相が脱原発路線の修正を図ろうとしている時に事故が起き、この決議が力強く前にすすみだしたのです。
 続いてフライアムト村で、再生可能エネルギーを利用した農家を見学。一軒目はバイオマスを利用した発電施設で、トウモロコシを裁断し発酵させてタンクに 投入。発生するメタンガスを燃焼することでタービンを回します。
 二軒目は風力発電塔を備えた牧場。風力発電というと騒音が問題になりますが、見学した際は私が勤務するクリニック近くの川崎産業道路より静かでした。ま た、ここでは牛から絞った乳の出荷時の温度差(三三度)を利用し温水を作ったり、間伐材の木質ペレットを燃料にしたボイラーも設置され、さまざまな工夫に 感心しました。

市民が作った電力会社

 さらに南に下ったスイスに近いシェーナウ村では、市民がつくった電力会社「EWS」 (シェーナウ電力)本社を訪問しました。EWSはチェルノブイリ原発事故の汚染拡大を心配した親の会が出発点。住民は一九八七年に「原子力のない未来のた めの親の会」を立ち上げ、政治家や電力会社の動きを待つのではなく、自分たちで原発のない社会を作ろうと考えました。
 村の電力の四割が原発によるものだったため、環境にやさしい電力を配電しようと、電力会社から送電線を買い取ることを思いついたのです。全国の市民から 出資金を集め、一九九七年に電力会社を設立。今では一三万人の顧客にエコ電力を供給しています。

自転する省エネの家

 最終日はグリーンシティーと呼ばれるフライブルク市の随所を回り、公共交通として発達した路面電車や、世界初の太陽光発電のサッカースタジアム、省エネルギーの家などを見学しました。
 圧巻だったのは自ら回る円筒形の家。家屋は壁と窓が半々の構造で、夏は壁側を太陽に向けて屋内の温度上昇を防ぎ、冬は窓側を太陽に向け室内を暖めます。 ほかにも夏と冬の太陽の高度差を利用して日光の量を調整するひさしのついた共同住宅など、カラフルで楽しげな家も視察しました。

 チェルノブイリ原発事故は、いまだに人々を苦しめ続けていました。ドイツでは脱原発、再生可能エネルギーの推進が、新たな希望になっています。私たちが 福島原発事故をどのように受け止め、教訓をどのような形にしていくのか。一人ひとりが自分自身の問題として考え、自ら運動していかなければなりません。

(民医連新聞 第1535号 2012年11月5日)