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民医連新聞

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知って学んで行動に!! 千葉民医連が初の平和学校

 青年職員を中心に全国で広がりつつある「平和学校」。千葉民医連では今年初めて、平和学校を開校しました。生徒は一一事業所から入職二年目~一八年目まで一三人。平和を学ぶ中で民医連綱領の体現や、医療と平和の関係を確認しました。(矢作史考記者)

医療者として平和を学ぶ

 三月から始めた平和学校は毎月第四水曜日に開校。三班に分かれ、講義やフィールドワーク(以下、FW)を通し、話し合います。
 三月の第一講座は国際政治学者の畑田重夫さんを招いて「いのちと平和と憲法と」~医療従事者に望まれるもの~と題した講演。八九歳の畑田さんは戦争体験をもとに「健康と生命に勝る大義なし」と語りました。
 四月は小名浜生協病院組織部の工藤史雄さんから、福島県民医連が被災約半年後に行った青年たちのピーチャリのとりくみの報告を受けました。「生活環境が 整わない中でも、多くの人がピーチャリに参加したことがすごい」という感想も。また、千葉民医連事務局次長の石塚俊彦さんが、民医連綱領と平和のとりくみ について講議しました。
 五月は各班で翌六月のFWの企画作り。医療人として戦争の悲惨さだけでなく、健康被害や補償にも目を向けるように考えました。
 そして六月はFWへ。アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で被ばくした第五福竜丸の展示館に行った一班。被爆体験を聞きに日本原水爆被害者団体協議会 に行った二班。東京大空襲の歴史を学んだ三班。午後は靖国神社と遊就館を見学。靖国神社の歴史に詳しい髙野邦夫さんのガイドの下、軍国主義の恐ろしさと、 遊就館に提示されている間違った歴史を見ました。
 七月は全日本民医連で行った辺野古支援連帯行動に参加した職員の報告。報告者は今井駿さん(船橋二和病院)と井澤英史さん(千葉健生病院)。年間二〇〇 〇億円もの米軍への思いやり予算で、豪華な施設整備や留守中でもエアコンを付けっぱなしの生活をしている実態などを報告しました。
 運営委員の中村久和子さん(千葉健生病院)は報告に対して「窓口負担や保険料で苦しむ患者さんがいる一方、米軍に税金が使われている」と、SWの視点から怒りを述べました。
 八月が最後の講座では、広島の原水爆禁止世界大会に参加した受講者が報告。大川美保さん(南浜診療所)は「被爆者は絞り出すように体験を語ってくれまし た。戦争は繰り返してはいけないと伝えていくことが大事だと分かった」と話しました。

卒業旅行は!?

 八月は、平和学校のまとめの報告と卒業式も行われ、各班で学び、感じたことを発表しました。
 一班はフォトムービーを作成し、学んだ思いを表現。第五福竜丸でのFWについて「核の恐怖は過去の物と思ってきたが、今の事態は正反対。“平和利用”と偽った原発が大きな脅威となる」。
 二班からは清水由美子さん(北部診療所)が「子どもを持つ母として、戦争で子どもより長く生きなければいけない親の立場を思うと涙が止まらない」と発 言。また、班員全員で「いのちの重さを知り、今後の業務に生かしていきたい」と声を合わせ、最後に被爆者の児玉さんの言葉を訴えました。「知ると同時に行 動へ」。
 三班は東京大空襲のFWを報告。戦前は「火を見たら消火せよ」という教育で、多くの人が犠牲になったことを紹介。「平和学校では集団で事実の認識を深め ていった。そして人権を踏みにじる戦争は二度と起こしてはいけないと確信した」と話しました。
 報告後は卒業式。受講生に卒業証書ともんじゅ君の本などの記念品が授与されました。
 卒業式後の交流会で運営委員が「今回の平和学校で学んだ人たちから、来年の運営委員を出したい」と呼びかけました。
 そして卒業旅行も提起されました! 卒業生四人が九月九日の沖縄のオスプレイ反対集会に行くことに。参加予定の廣木芳行さん(北部診療所)は「平和学校で学んだ事をきっかけに、参加を決めた」と言います。
 平和学校を呼びかけ、運営の中心を担った東幹太さん(ふたわ診療所)は「平和を学ぶなかで、行動し、伝えていくことの大事さを分かってくれたのが嬉しい」と振り返りました。

(民医連新聞 第1531号 2012年9月3日)