第33回 民医連の医療と研修を考える医学生のつどい 医学生181人 原発被災者に寄り添いたい
八月一六~一八日、全日本民医連は岩手県花巻温泉で「第三三回民医連の医療と研修を考える医学生のつどい」(以下、つどい)を行いました。医学生一八一人を含む四二九人が参加しました。(矢作史考記者)
今回のつどいのメーンテーマは「原発問題から医療と生活を考える~医学生が本気出して考え てみたらどうなる!?~」です。獲得目標は、原発問題や民医連医療の学び、将来の医師像や、これからの日本社会を自分の問題としてとらえ考えること。そし て他大学や職員など同じ目標をもった人と意見を語り合い、楽しむことです。
開会にあたり、弘前大学五年の高橋夏生実行委員長が「原発事故は多くの人の生活を破壊しました。私たちは将来医師になります。医療者として患者さんや住民の健康を守る立場で考えなければいけません」と報告。
開会式後は写真家の森住卓さんの講演を聞きました。森住さんは核害を受けたセミパラチンスクや、福島の状況を写真や動画を交えて報告。福島第一原発の事故直後の避難地域の映像には、みんな釘付けに。
森住さんは「原発事故直後の飯舘村の放射線量は東京の一〇〇倍だったが、村民には危険が伝わらなかった」と話し、政府の対応の遅れを批判しました。
原発はどう影響したか
二日目の午前中はシンポジウム。福島の農家の三浦草平さん、福島・桑野協立病院SWの朽木暁美さん、宮城・坂総合病院の矢崎とも子医師ら三人が、それぞれの立場で原発事故にどう向き合ってきたかを報告しました。
事故後矢崎さんは、母親、そして医師の立場で宮城県内で講演を行ってきました。「母親たちには子どもたちへの放射能の影響について漠然とした不安がある が、恐れるべき点を具体的に示すと、意識も変わります」。また講演では、社会を変えようと思えば政治を抜きには考えられないと強調していると話しました。
三浦さんは、原発事故による生活苦や、福島の農産物が受けている打撃について報告。福島の農産物の安全性について質問されると「すべて検査して基準以下 の物しか流通していません。検査していない物の方が怖い」と応じました。
朽木さんは「震災前には働いていた男性が、避難先を転々として病気で亡くなった。認知症状が現れる人も多くなった」と、直接放射能によるものではない健 康被害も起きていることを話しました。そして医学生に「将来、私たち(福島の人)を診てくれるのは、今回のつどいに参加した皆さんだと思います」と、期待 を寄せました。
学んで見て感じたい
午後は一三の分科会を開きました。被爆者医療や公害、脱原発杉並のメンバーから話を聞くも のや、学生で行った原発フィールドワーク報告などの内容です。分科会後は職員や共同組織の人も交えたスモールグループディスカッション。再生可能な新しい エネルギーのことや、除染の問題点、「政治を変えたい」という感想や杉並デモの話がおもしろかった、など、意見を交わしました。
最終日のまとめでは初日に書いた「自分カルテ」を見直し、学んだことを振り返りました。
最後は事務局を務めた学生が「原発について学ぶ中で、私たちはすべての原発をなくしたいと思った」と表明し、三日間をしめくくりました。
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つどい初参加の立花史音さん(一年生)は「被害者の視点で考える事ができた。自分の目で福 島など被災地の現場を見てみたい」。田村友和さん(三年生)は「メディアが伝えない情報が多かった。原発は事故が起こる前に止めなければ。また民医連が病 気だけではなく、患者さんをとりまく環境を見ることを大事にしていると分かった」と。
福島県出身で分科会で福島県の事をまとめて発表した国井稜さん(五年生)は「福島で原発が建てられた背景や、それに頼ってきた地域があることも含め知ってほしかった。地域に役立つ医師になりたい」と決意を語りました。
(民医連新聞 第1531号 2012年9月3日)