原爆症認定集団訴訟支援医師団がまとめの会 “人生かけてたたかえた”
七月二〇日、原爆症認定集団訴訟支援医師団会議と慰労会が東京で行われました。同訴訟は勝利で終結。各地で原告支援に関わった民医連医師や原告団、弁護団など二六人が参加しました。
はじめに小西恭司全日本民医連副会長があいさつ。「政府側の証人として、何人もの専門医が原爆症を否定する中で、私たち医師団は、人生をかけたたたかい をした」と振り返りました。そして「広島、長崎、チェルノブイリ、福島は続いている。核兵器廃絶と脱原発の運動を続けていこう」と訴えました。
全国弁護団事務局長の宮原哲朗弁護士は「低線量被ばくや残留放射線による内部被ばくに関するエビデンスはないとされてきた。民医連の医師は被爆者に寄り そい、自分たちが正しい立場に立っているという信念をもち、裁判で認めさせた」と発言。そして「核兵器は全人類、文明への攻撃であり、それに対して被爆者 は、正義=核兵器の廃絶を求めている」と強調しました。
「本当に手探りでがんばってきた。今後は若い医師に引き継いでいきたい」と話したのは東京の向山新医師。支援医師団のとりくみについて声を詰まらせながら報告しました。
山本英典全国原告団長は「被爆者は原爆を落とした悪魔と今もたたかっている」と、今も被爆者に過酷な立証責任を求める国に対し、新たな裁判でたたかっていく決意をのべました。
また、作成が予定されている原爆症認定集団訴訟の支援医師団のとりくみの『記録集』についても意見を交わしました。
◆
慰労会では、参加者一人ひとりが訴訟のエピソードを語りました。「証言のときは傍聴席から多くの被爆者の思いが伝わってきた」「被爆者医療をやってきた ことで、今は子どもへの被曝の影響について話してほしいという依頼が多い」など、苦労話や感謝の言葉があいつぎました。
最後に全日本民医連の被ばく問題委員会委員長の藤原秀文医師(広島・福島生協内科クリニック所長)が、「みなさんの話を聞いて、自らがたたかいの中で歩み、成長してきたということがわかった」とまとめました。
(民医連新聞 第1530号 2012年8月20日)
- 記事関連ワード
- 生協