うつ、不眠 背後に沖縄戦が 精神科医が新たな診断指標
県 民の四人に一人(一二万人)が犠牲となった六七年前の沖縄戦。その記憶が今になって暴れ出し、不眠やうつなどに苦しむ人がいることを、沖縄協同病院心療内 科の蟻(あり)塚(つか)亮二医師が明らかにしました。こうした症状を「沖縄戦ストレス症候群」と名付け、患者を治療、支援しています。「これまでは医師 も本人も背後に戦争体験があるとは気付かず、個人の問題とされてきた。沖縄には原因不明の不眠やうつに苦しむ人が大勢いるはずで、新たな診断指標を活かし たい」と蟻塚さん。民医連ならではの視点が活きました。(新井健治記者)
「沖縄戦ストレス症候群」
「目の前で母と叔母、妹が爆死した。六歳の妹は、はらわたが全部飛び出していた」―。南城市の前川守幸さん(八〇)は、沖縄戦当時一三歳。玉城村(当時)から糸満市へ逃げる途中、米軍の攻撃で家族を失いました。
米軍は畳一枚当たり一〇〇発の弾丸を撃ち込んだといわれ、後に「鉄の暴風」と呼ばれました。住民は修羅場を逃げ惑い、虐殺や死体を目の当たりにしました。
前川さんは戦後、酪農に従事。四年前に家業を息子に譲ったとたん、原因不明の不眠に苦しむようになりました。「家族の遺体を置いて逃げたことを思い出す。睡眠薬を使っても、眠れなかった」。
若い時は仕事や家族の世話に追われ、頭の片隅に追いやられていた戦争の記憶が、ようやくゆったりできるはずの老年期に蘇る構図を、蟻塚さんは「沖縄戦ストレス症候群」と名付けました。
「大人は辛い体験を言語化して整理し、徐々に記憶のファイルに移します。ところが、幼少年期に沖縄戦を体験した世代は、体験を言語化できないまま抱え、 それが正体不明のストレスとして暴れて患者を苦しめるわけです」。
治療は薬のほか、患者ミーティングを開き、戦争体験を語り合うこと。「記憶を言語化し、しかるべき“戸棚”に収める作業。これで症状を和らげます」と蟻塚さん。
アウシュビッツで似た症状
蟻塚さんが沖縄戦に注目したのは、ホロコーストの生還者に関する精神保健の論文がきっかけ。生還した高齢者に、うつ病型の不眠があるが、抑うつ気分が少ないなど、通常の分類では説明できない症状があるとの報告でした。
酷似した症状の患者を診察したことから、「七〇歳以上、うつ病型の不眠、高齢になって発症、戦争の記憶が勝手に侵入してきて辛い」などスクリーニング基 準を作って診断したところ、ここ二年間で一〇〇例も該当しました。
こうした症状を「晩発性PTSD」、「においのフラッシュバック」など八タイプに分類(表)。毎年、沖縄戦慰霊の日(六月二三日)が近づくと、死体のにおいが蘇り、眠れない人もいました。「過去の心療内科のカルテを見直すと、戦争体験を口にする患者が何人もいました」と蟻塚さん。
患者は戦争の被害者
「遺体を踏んで逃げた感覚が蘇り、足の裏が熱くなる」と話すのは、豊見城市の内原つる子さ ん(八二)。沖縄戦ストレス症候群の「身体化障害」タイプに該当します。内原さんは母と二人で逃げ惑う中、気付かずに遺体を踏みました。「ペタッとした泥 とは違うその感触は鮮明に残っています」。
戦後は中学教師になりましたが、五〇代で足裏の灼熱感に苦しむように。どこの病院でも原因が分からず、杖なしでは歩けなくなりました。二年前に蟻塚さん の診察を受け、患者ミーティングに参加するようになって改善。
「先生に出会った当時は事故死できる方法がないか、そればかり考えていた。自殺では家族に申し訳ないから」と内原さん。「おかげで杖がいらなくなりました」。
沖縄戦の体験者には「生き残って申し訳ない」「助けるべき人を助けなかった」など自責の念を持つ人が大勢います。教師だった内原さんでさえ、「遺体を踏んだ罰が当たった」と考えています。
蟻塚さんは、患者が戦争被害者であると公の場でも訴えています。「患者さんには自らを責める気持ちを脱してほしい。原因が戦争にあると分かれば救われ る。また、集団自決や日本軍の住民虐殺など、社会が沖縄戦の事実を明らかにすることで、患者は戦争を語れるようになります」と話します。
「沖縄戦ストレス症候群」
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(民医連新聞 第1528号 2012年7月16日)