私の3.11 (5)兵庫 瀬井宏幸さん 行政の手が届かない支援を行う
今回は兵庫・尼崎医療生協から。同法人は宮城県南部の山元町を中心に独自の支援活動を始め、その輪は近畿の仲間たちにも広がっていきました。当時、同法人組合活動部長として、支援活動の中心で奮闘した瀬井宏幸さんの寄稿です。
尼崎医療生協では、坂総合病院への医療支援隊の派遣を第五次まで続けました。私たちが山元町を中心に、宮城県南部沿岸地域への支援にとりくむきっかけになったのは、みやぎ県南医療生協に派遣された第四次医療支援隊が、そこでの被災者の状況をつかんだことからでした。
私たちが行ったのは、既に震災から一カ月がたった後でしたが、避難所にいた皆さんは「震災以降、着替えていない」と話していました。支援物資は受け入れが不能なほど、被災地に集まっていました。しかし、行政の手の届かない人たちがいたのです。
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その後、みやぎ県南医療生協の施設を近畿の医療生協や民医連有志のボランティアセンターと して借り、現地のニーズの把握と、やって来るボランティアの受け入れを同医療生協といっしょにすすめました。尼崎から毎日のように山元町に向かうバスを出 し、現地に入ったボランティアは延べ一〇〇〇人を超えました。
支援当初に多かった作業は、被災した家の床下の泥出しなど力仕事でした。最近は仮設住宅や沿岸部住宅地域に帰ってきた被災者を対象に、お茶会や健康 チェック、健康体操などを行っています。重点的にとりくんでいるのは、地域コミュニティーの復旧です。仮設では孤独な高齢者や男性が気になるところ。沿岸 部住宅地域でも、町内会の機能や住民同士のコミュニティーがマヒしており、かといって自ら動こうという意欲が湧かない状況でした。
私たちのとりくみは、地元のNPOや自治会との共同企画へと発展しています。現地では「医療生協」の名前がかなりメジャーになりました。何より嬉しいの が、山元町の沿岸部に医療生協の班「いちご班」が誕生したことです。七月には班のみなさんと夏祭りを計画中で、舞台や模擬店、ビンゴゲームなどを企画して います。
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活動を振り返ると、(1)ニーズは現地にある、(2)現地任せにせずコーディネーターを送 り込む、(3)自治体との共同の努力、などが教訓としてあげられると思います。「ニーズ」の問題でいえば、被災地を歩き対話をすることで、たくさんのニー ズをつかみ、行政の手が届かない課題についても支援を行うことができました。
支援の形態は刻々と変化していきます。現地ではいま、生業の展望が見えないこと、廃線状態になっているJR常磐線の移設先などが最大のテーマです。
医療生協の班ができたことで、住民主役の活動を重視する時期にきています。今後は近畿からボランティアコーディネーターの常駐者を配置し、みやぎ県南医療生協とともに被災地支援を強化、継続していく計画です。
(尼崎医療生協病院・副事務長)
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尼崎医療生協では、支援活動をまとめた『被災地をつなぐ「協同のちから」』(日本機関紙出版センター・予定価格一二〇〇円)を近く出版します。
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(民医連新聞 第1527号 2012年7月2日)
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