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民医連新聞

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相談室日誌 連載348 20年間病院を転々とするAさんのこと 井口幸子(大阪)

 解決できず、気になるケースがあります。五〇代のAさん(男性)。三〇代半ばに脳梗塞を発症し、右マヒがあります。入院中に飲酒を繰り返し、そのつど強制退院になり次の病院へ移るという生活を二〇年近く繰り返していました。
 当院へは大阪府南部の病院から強制退院になったあと、警察に保護され、救急搬送されてきました。これまでは主にC市で生活保護を受給していましたが、保 護された警察がB市にあったため、B市の生活保護につながりました。Aさんに今後の希望を聞くと、地域に根をおろして生活をしたい、とのことでした。
 SWとしても病院での不自然な生活より在宅生活の方がQOL向上につながると考え、退院に向け調整を始めました。介護認定申請を行い、Aさんと高齢者専用賃貸住宅の見学に行きました。
 しかし、Aさんは「もっと広いところはないか」と不満げ。「契約はやめていいが、これ以上広い住居が確保できるか約束できない」と話すと、「ここでええ わ」とのこと。いったん渋れば、もっと良い物件が出てくるのではないか? というAさんなりの作戦だったようです。
 介護認定のめども立ち、入居日程も決め、あとはその日を待つばかりという段階で、Aさんはトラブルを起こしてしまいました。すでに飲酒で、厳重注意も受 けていました。残念ながら、病院側も入院継続は困難だと判断せざるをえず、強制退院になってしまいました。Aさんはその日のうちにご自分で救急車を要請 し、C市内の病院に入院しましたが、B市からC市の保護に変更になったため、B市ですすめていた高齢者専用賃貸住宅の入居は白紙に戻りました。在宅生活が 実現する直前に、再び根無し草のように流れていかれたことがとても残念でした。
 それにしても、二〇年近い病院生活の中で、一度も在宅生活に向けた援助がなかったのか…と驚いた事例でした。社会的ルールを守ることが難しいAさんです が、本来なら長く生活保護で関わっていたC市が、生活再建について責任を負うべきではなかったかと思います。Aさんの流浪の旅が早く終わることを願ってい ます。

(民医連新聞 第1524号 2012年5月21日)