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民医連新聞

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第34回 全国青年ジャンボリー 3月24~26日 宮城 誰一人欠けても―― 本当の仲間ができた

 三月二四~二六日、「第三四回民医連全国青年ジャンボリーin宮城」が開かれ四三〇人が集まりました。ジャンボリー(JB)は民 医連の青年職員が学び交流する場です。獲得目標は(1)宮城の現状を知り、自分たちに何ができるかを考える、(2)民医連の活動を学び全国に仲間がいるこ とを実感する、(3)全国のジャンボラーと交流しつながりの輪を広げる、です。開催は昨年秋の予定でした。ところが東日本大震災が発生、一時は開催も危ぶ まれました。しかし全国に励まされながら、現地の実行委員たちは奮闘しました。大成功の裏には青年たちの苦労と全国への感謝がありました。 矢作史考記者

開催の危機に直面して

 東日本大震災の直後。全国JBの開催はどうなるかわかりませんでした。現地実行委員たちも、日々に追われて、集まれないでいました。結局、再会は五月。震災から二カ月後のことです。
 「とにかく集まって話そう」と開いた実行委員会では、開催そのものを議論。「やろう」という意見や「こんな時にできない」など、率直な意見が出ました。 その場では結論は出せませんでした。最終判断は全日本民医連の理事会に委ねることに。開催時期を半年ずらし、いつもの半分の規模で行うことが決定しまし た。
 現地実行委員会の千葉大志事務局長は、JBを「民医連への気づきの場。自主的な活動を通して、成長できるチャンス」と言います。しかし悩みました。「一 番苦しかったのは、被害の大きかった地域の実行委員の思いに寄りそうことができているか、ということ。実行委員会のたびに不安だった」。
 一度は現地実行委員の中でも意見が割れましたが、八月の実行委員会では「みんなでがんばってきたことを形にしたい」という前向きなものになっていきまし た。全国実行委員からの励ましと時間の経過が、気持ちを変化させました。
 しかし、開催が決定しても、震災前に考えていた企画もテーマもすべて一からのスタートです。とにかく時間も人手もありませんでした。現地の実行委員が担 当することになっていたフィールドワークの企画にも全国実行委員が関わることにするなど工夫。それでも短い準備期間の再出発で、当日まで誰もが不安を持っ ていました。

 そして本番。前夜祭からフィールドワーク、大交流会、卒業式にいたるまで大成功。三日間を 通して、被災地の実態や課題、そして民医連の災害支援について学びました。四〇班に分かれて行われたSGD(スモールグループディスカッション)は、各地 で発生している天災についても話し合われ「自分たちに何ができるか」と考える機会になりました。
 震災直後、全国から支援に入った民医連職員は延べ一万五〇〇〇人にのぼりますが、参加者の多くは今回が初めての被災地でした。

「やって良かった」みんな涙

 全日程が終了した二六日午後、実行委員たちが、振り返りを行いました。現地実行委員の誰もが涙を流しながら報告しました。
 震災後、JB開催には消極的意見だった現地実行委員の児玉健治さんは、ささえてくれた全国の実行委員に感謝を述べました。
 被災時の講演やSGDで涙し、同じ班の仲間から手紙をもらったのは鈴木陽平さん。福島の仲間が見せた笑顔に喜んでいたのは丹藤広子さん。全体会の司会を した本多恵子さんは、「人前に出るのが苦手だった自分が、JBを通じて変わった」と語りました。
 「この二年間で本当の仲間ができた」と話した佐々木隆行さんは「宮城の青年が元気でがんばっていることを伝えられて良かった」と声を詰まらせました。
 みんなが共通して語っていたのは「やって良かった」ということ。笑顔で帰る参加者たちをみて、その実感を強めました。被災地でJBを作ってきた、これまでの苦労や不安が涙に表れていました。
 最後に、全国実行委員会の加藤大輔事務局長が呼びかけました。
 「今回のJBは、全国と現地の実行委員、誰が欠けても開けなかった。やってきたことを確信に、仲間の輪を広げよう」。

(民医連新聞 第1522号 2012年4月16日)