かあさんの「ほのか」な幸せ~眠りっこ子育てetc.~ (17)くりかえす苦悩、そしてひとすじの光(上) 文:西村理佐
大学の最初のオリエンテーションで、障害児心理の教授が、「この子らを世の光に」という、障害者福祉の父、糸賀一雄氏の言葉を教えてくれた。のほほんと生きてきた18歳のかあさんに、その言葉の意味はわかるはずもなかったが、それ以来、なぜかずっと鮮烈に心にあった。
運命とは不思議なものだ。それから15年以上経って、かあさんは障害児と呼ばれる子の母となった。
脳の機能を失って「眠りっこ」となった我が子の生きる意志を見出し、数々の困難を乗り越えて帆花をおうちに連れて帰り、夢にまで見た家族揃っての生活を 送り始めた頃、皮肉にも世の中は、「脳死を人の死とし、本人の意思表示なしに家族の承諾で臓器提供を可能とする」という改正臓器移植法の議論を行ってい た。
物言わぬ帆花と接し続けることで見出した「生」と、時代は逆行しているように見えた。いのちに優劣がつけられ、「生きること」すら認められないいのちがあっていいのかと苦悩した。
そして、先の震災では、電気ひとつ無ければいのちを繋ぐことすらできないのだということを思い知らされ、自分の手で帆花のいのちを守っているという自信 は簡単に崩れ去り、無力感に襲われた。その上、尊いたくさんのいのちが奪われた今、帆花のような子が助けてもらえないのは当然だ、などと言われた。
私たちはみな生まれてくる時代を選べないし、目の前の困難や災害などを避けて通ることもできない。だが、困った時に真っ先に我慢を強いられ、それどころ か、いのちの危険にさらされるのはいつも「弱者」なのだ。普段は見えなくても、いのちを「生産性」で測る尺度がそこら中に、そして普通に存在していること を、くりかえし痛感させられる。
(民医連新聞 第1518号 2012年2月20日)