かあさんの「ほのか」な幸せ~眠りっこ子育てetc.~ (14)「幸せ」とは何ぞよ、の巻 文:西村理佐
「ほのちゃんは幸せなのか」という質問をたびたび受ける。おいおい、4歳児に人の幸せについて聞くのかよ、と思う。きっと帆花のいのちは、質問者の価値観を超えているのだろう。そして、以前はかあさん自身もそんな質問を笑い飛ばすことができなかった。
思えば、帆花が生まれたばかりの頃は、自然に帆花に話しかけることすらできなかった。この子わかるかしら、話しかけたりしておかしくないかしら、そんな 考えが心のどこかにあったのだろう。ところが、帆花をおうちに連れて帰ってみると、在宅チームの方々が「ほのちゃん」という1人の人間として大切に扱って くださり、その中で、帆花はかあさんを介さず自分で人間関係を築いていった。そればかりか、近所の女の子に、クローバーをプレゼントしてもらうなど、友情 さえ育んでいたのだった。
そんな帆花を見て、かあさんは彼女のいのちを「医学」という価値で測ることをやめた。台所に立てば、「たまねぎ切ってるよ」と実況中継し、一緒にテレビ を見れば「松潤かっこいいね」と人気アイドルのことで盛り上がる。今では、かあさんはいつでも帆花に話しかけ、帆花もタイミング良くリーク音で返事をす る。
そして帆花の「遊び」も変わっていった。絵本の読み聞かせなど、帆花が「観客」になるようなものから、折り紙やビーズ作りなど、帆花の手を使うものが増 えていった。その遊びを「医学」で測れば、「手指に刺激が入る」という効果があるのだろう。だが、そんな遊びを自然とするようになったのは、「できる」 「できない」という価値ではなく、一緒にやる楽しさや、触れる喜びからだ。帆花自身も好奇心が増し、「自分でしてみたい」という意欲が出、目を見開き、 「ふーん、ふーん」と鼻息荒く取り組んでいる。
「幸せ」とは何だ。いまだわからない。だが、いのちは一面的な価値では測れず、関係性の中で育まれる。いま帆花が自ら築いている繋がりは、彼女の「幸せ」の一部に違いない。
(民医連新聞 第1514号 2011年12月19日)
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