被災地発(7) 医学生のボランティアネット この夏10人が宮城と岩手へ 東京民医連
東京民医連は今夏、「東日本大震災医学生ボランティアネットワーク」を立ち上げました。同ネットワークの柱は、(1)知ること/ 被災地の現状や求められていること、(2)学ぶこと/復興に向けた行政問題や社会制度、そして原発問題等の学習会、(3)行動すること/被災地の現地支 援、義援金、地元・首都圏での活動、の三つです。このうち、七、八月に行った三回の被災地支援について報告します。(東京民医連医学対事務局)
●宮城…避難所での肩もみ、海岸のがれき撤去
一回目は七月八~九日、宮城で行いました。医学生三人と職員三人が、坂総合病院のある塩竃・多賀城地域へ。
一日目は避難所の体育館で、被災者の肩もみボランティア。二日目は七ヶ浜ボランティアセンターで、海岸のがれき撤去を行いました。震災から四カ月が経っ ても、流された住宅や打ち上げられた無数のコンテナがありました。
●宮城…仮設の健康相談会
二回目は八月二五~二七日、医学生二人と職員一人が宮城へ。
一日目は、坂総合病院が行う仮設住宅での健康相談会に参加。被害の大きかった地域を回ると、震災から五カ月経っても壊れた一階をそのままに二階で暮らしている世帯もあり、生活再建の困難さを知りました。
二日目は五時起きで石巻のボランティアセンターへ。石巻までの仙石線が不通のため、代行バスでの移動になりました。ここでは物資の仕分けや仮設住宅への物資配布を行いました。
●岩手…泥かき作業
三回目は八月二九~三一日、医学生五人と職員二人で岩手県大船渡市へ。
東京からバスで九時間。目的地は岩手でも「陸の孤島」と言われる地域です。高台の民宿に泊まり、民宿の関係者が撮影した三月一一日の映像を見せてもらい ました。五メートル近くある堤防を乗り越えた津波は二四時間続き、鋼鉄の堤防を飴のように曲げるほどの力がありました。
ほかから来ていたボランティアと総勢一五人で、大船渡線の側溝の泥のかき出し作業を行いました。ツルハシやスコップを使って、一日がかりで掘ること三〇 メートル。溝には泥より岩や廃油受けなどが詰まっていて、なかなかすすみませんでした。
作業の合間にサケやサンマなどを冷凍保存する業者から話を聞きました。震災で廃棄した魚は四〇〇〇トン、建物と併せて四億円近い損失が出たとのこと。慣 れない作業でメールも打てないほどの筋肉痛になりましたが、翌日もがんばりました。
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七、八月の二カ月間で一~六年生、計一〇人の医学生がボランティアに参加しました。遠くは四国や山陰からやって来た学生もいます。
彼らは「被災地の現状が想像以上に厳しかった」と驚き、絶句しながらも、一生懸命とりくみました。ボランティアを通じて学生に変化が生まれています。 戻ってからも所属大学のボランティアツアーに参加したり、学園祭で被災地報告を計画するなど、行動を継続中。「自分は微力だけれど、無力じゃなかった」と 語る学生もいます。この活動が被災地に役立つとともに、医学生たちの成長にもつながれば、と考えています。
(民医連新聞 第1509号 2011年10月3日)