泉南アスベスト訴訟の不当判決 「信じられぬ内容」 国を免罪、被害者に自己責任 伊藤泰司 (大阪・泉南アスベスト国家賠償訴訟を勝たせる会事務局長)
8月25日、大阪高裁は、大阪・泉南地域のアスベスト被害について、国の責任を認めた昨年の大阪地裁判決を取り消し、原告の請求 を棄却する判決を言い渡しました(三浦潤裁判長)。憲法の生存権よりも経済を優先したこの判決は許されません。裁判を支援してきた同仁会・伊藤泰司診療企 画部長の寄稿です。
判決当日、大阪高裁前には傍聴に入れなかった三〇〇人を超す人たちがつめかけました。「不当判決」の旗があがると「信じられない」という声と、重苦しい空気が辺りをつつみました。
判決は、泉南地域のアスベスト被害の実態を無視し、最も尊重されるべき生命・健康よりも産業、経済発展を重視することを露骨に示したものでした。また被 害に対する国の責任を免罪する一方で、泉南アスベスト被害の原因を、被害者や零細企業に押しつけています。さらに、筑豊じん肺最高裁判決以降、国の規制権 限を厳格にとらえて、被害者救済を重視してきた司法判断の流れに逆行する「行政追随、擁護」の不当極まりないものです。マスコミも「アスベスト裁判の司法 判断の流れに逆行する判断」と報道しました。
地裁の判決とは真逆に
泉南地域は戦前から一〇〇年にわたり、石綿紡織業が発展し、中小零細の工場が集中立地して きた地域。国は七〇年前に泉南地域の石綿工場労働者を対象に調査を行い、アスベストにより重篤な呼吸器疾患が発症することを知っていました。それにもかか わらず、戦前は軍需、戦後は経済成長を優先させて、事業主、労働者やその家族、近隣住民に対してアスベストの危険性を知らせることや局所排気装置の設置を 義務づけるなどの必要な対策を怠ってきたのです。昨年五月一九日の大阪地裁判決はこのような実態に目を向け、アスベスト被害についての国の責任を認め、全 損害の賠償を認めました。
しかし控訴審判決は、こうした泉南地域の実態には目を向けず、それどころか、国が規制権限の行使を怠ってアスベスト被害を広げてきた責任を免罪したので す。判決は「国が厳格な規制を行うならば、工業技術の発達及び産業の発展を著しく阻害するだけでなく、労働者の職場自体を奪うことになりかねない」「国が 規制を実施するにあたっては、対立する利害調整の関係を図ったり、他の産業分野に対する影響を考慮することも現実問題として避けられない」などとしまし た。
このような立場に立って、国が規制権限を行使するには「医学的知見、工学的知見の進展状況、当該工業製品の社会的必要性及び工業的有用性の評価について の変化、その時点において既に行われている法整備及び施策の実施状況等をふまえた上で主務大臣によるその時々の高度に専門的かつ裁量的な判断に委ねられ る」として、広範な裁量を国に認めました。そのうえで、「国は昭和二二年の時点で抽象的な規制措置を執っていたから責任はない」また「昭和三〇年代頃には 局所排気装置は技術的に確立しておらず、設置を義務づけなかったことに違法性はない」などとしたのです。
一方、労働者に対して「新聞や業界団体を通じてアスベストの危険性を知っていたのに防塵マスクをしなかったのが悪い。安全教育をしなかった中小零細の企業主が悪い」などと被害の責任を押しつけたのです。
また判決が、国の不作為の責任を認めた筑豊じん肺最高裁判決や水俣病関西訴訟最高裁判決などの一連の司法判断の流れに全く逆行していることも重大です。
筑豊じん肺判決は、国民の生命や健康が問題となっている場合は、国はその規制権限を「できる限り速やかに、技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したも のに改正すべく、適時かつ適切に行使されるべき」と厳格に判断しました。しかし、本判決は、前述のとおり、国民の生命・健康よりも産業発展を優先する姿勢 を示しました。
原発や公害訴訟にも影響
このような判決がまかり通るならば、全国でたたかっている他のアスベスト訴訟や公害訴訟、さらには原発被害に対して国の責任を追及する訴訟や運動に否定的な影響を及ぼしかねません。判決は、過去と未来にわたって、国民の生存権や健康権を脅かすものです。
判決を受けて、原告団、弁護団は悔しい気持ちでいっぱいでした。しかし、判決以後、様々な集会で多くの人が高裁判決に対して怒りの声を上げるとともに、 原告団、弁護団に対して励ましの言葉をかけてくれました。原告団は、怒りとともに、みなさんの支援に励まされ、八月二八日の総会では、全会一致で上告して たたかうことを決め、三一日、最高裁に上告しました。
(民医連新聞 第1508号 2011年9月19日)
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