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民医連新聞

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“私たちも被爆者と認めてほしい” 苦しみ繰り返さないために 長崎 「被爆地拡大運動」を知っていますか?

 「長 崎被爆地域拡大協議会」(峰松巳会長、会員二〇〇人)は一一月に発足一〇年を迎えます。長崎の原爆被爆地域※1は、放射能の影響をできるだけ狭めたい国の 意向で、南北一二キロに対して東西は七キロといびつな形に歪められました。同協議会は「爆心地から半径一二キロ以内で被爆したすべての住民に、被爆者健康 手帳の交付を」と国に要請してきました。また、「原爆被害の苦しみを福島原発事故の被害者に繰り返すな」と長崎市議会に陳情しました。あらためて注目した い運動です。(新井健治記者)

 「焼けるような熱線を感じ、爆風で倒された。空から黒い雨や燃えかすが降ってきて、被っていたタオルが真っ黒になった」―。山口ヨシ子さん(85)は一九歳の時、爆心地から東へ一一キロの旧古賀村(地図参照)で被爆しました。

「被爆体験者」の名で

 八月九日の原爆投下から一カ月後の九月に異変が起こります。父親と、疎開していた従兄弟二人があいついで下痢と高熱で亡くなりました。山口さん自身も一〇月に頭髪が脱け、めまいや頭痛に悩まされました。放射線による急性障害の症状です。
 山口さんの次男と長女は死産、その後も子宮がんや心臓病を患いました。「ずっと病気ばかりで、医療費がかかって大変。私も被爆者と認めてほしい」と訴え ます。驚くことに、山口さんは被爆者ではなく「被爆体験者」なのです。
 国は一九五七年、長崎の原爆被爆地域を、終戦時の旧長崎市と福田村の一部など行政区で機械的に線引きしました(図の赤色部分)。「国の基準は実態にそぐ わない」と被爆者が粘り強く運動した結果、三回にわたって「健康診断特例区域」を定め、少しずつ医療費や諸手当の支給範囲を広げました。
 このうち、原爆投下時に第一種健康診断特例区域※2(青、緑色部分)にいた人は、特定疾患にかかれば「被爆者健康手帳」を取得できます。被爆者として健 康管理手当の受給のほか、医療費と介護保険利用料は無料になります。

がんは対象外

 ところが、被爆地から東西七~一二キロまでの第二種健康診断特例区域※3(黄色部分)の住 民は、被爆者健康手帳が取得できません。国はここにいた人を被爆者ではなく被爆体験者と名付け、医療費助成の対象疾患は被爆体験に基づく精神的な要因に限 定。「放射線の影響はない」と決めつけました。
 被爆体験者の身体症状は、精神疾患(PTSDやうつ病)との合併症しか認められません。がんは除外され、たとえば、胃潰瘍の被爆体験者が胃がんになった 場合、医療費助成が打ち切られるなど、誰が考えてもおかしな制度です。
 二〇〇一年、被爆未指定地域の住民が長崎被爆地域拡大連絡会を発足。厚労省や長崎県・市に▽東西一二キロまで被爆地域に▽第二種健康診断特例区域にも被 爆者健康手帳の交付を▽がんを医療費助成の対象に、と何度も要請してきましたが、国は「科学的、合理的な根拠がない」と拒否してきました。
 爆心地から南東八・五キロの旧茂木町は、ビワと鮮魚の町です。漁師の中橋光義さん(74)は九歳で被爆し、右脇腹にはやけどの跡が。糖尿病、腰痛、神経 痛、消化器機能障害など、多くの疾患を抱えます。「福島原発は二〇キロまで警戒区域と決めたのに、原爆は八・五キロでも認められん。こげん話が、あろう か」と怒ります。
 被爆者は一般の人に比べ、多くの健康障害を抱えています。取材した被爆体験者も、がんをはじめ複数の疾患に悩まされていました。被爆から数十年後に発症 する晩発性障害の可能性が濃厚です。毎年約一五〇人が亡くなっており、支援が急がれます。

 津村はるみさん(66)は、爆心地から南へ一一キロの旧香焼村で生後一九日目に被爆。半世紀が経った五〇歳で甲状腺がんを発症しました。「少しでも体調が悪いと、原爆が頭をかすめる。今でも毎日不安でいっぱい。被曝した福島の子どもたちの将来が心配です」と津村さん。
 漏れた放射能が風で運ばれ、まだら状に被害が広がった原発と違い、原爆の爆発直後の放射線は爆心地から同心円状に広がります。南北一二キロまで被爆地と しながら、東西は七キロに限定した国の姿勢は科学的でも合理的でもありません。
 協議会の山本誠一事務局長は「国は一貫して放射能の影響を過小評価してきた。このままでは、福島原発の内部被曝も無視される。同じ苦しみを繰り返しては いけない。被爆地域拡大運動は私たちのためだけでなく、次世代のためにも大切」と指摘します。

長崎民医連も支援

 長崎民医連は被爆者のカルテ保存や被爆体験の聞き取りとともに、被爆体験者を支援しています。上戸町病院の岡田武さん(SW)は、五年前に亡くなった被爆体験者Sさんのことが忘れられません。
 Sさんは、胃潰瘍で通院していましたが、胃がんになりました。胃潰瘍と違い、胃がんでは医療費は補助されません。治療を中断しがちになり、受診を促して も、「お金がない」とためらいました。「どんな思いで痛みをこらえていたのか。被爆体験者を切り捨てる国が許せない」と岡田さんは怒ります。
 大浦診療所の亀井陽子事務次長は、被爆者健康手帳の交付申請に同行することもあります。「長崎市は申請却下の姿勢が強く、窓口の対応も悪い。運動で改善 したい」と話します。また、今秋に被爆体験者の急性障害や今の体調を聞く「証言調査」にとりくみます。

(民医連新聞 第1506号 2011年8月15日)