全ての被災者の人権を守る国民的運動を 評議員会方針案 長瀬事務局長に聞く
全日本民医連は七月一五日の理事会で、第三回評議員会の方針案を発表、各職場での討議を呼びかけています。方針案のポイントを、長瀬文雄事務局長に聞きました。(新井健治記者)
来年二月の第四〇回総会前に行われる最後の評議員会です。目的は、(1)東日本大 震災・原発事故被害に対する現時点でのとりくみをまとめ確認する、(2)未曾有の危機の中、新しい日本社会を展望しつつ情勢の見方を一致させる、(3)新 卒医師フルマッチをはじめ、第三九回総会(二〇一〇年二月)で掲げた方針達成に向けて課題を確認する、(4)次期総会に向けて規約改正案の提案と討議、役 員選考の考え方の提示と確認、の四点です。
改めて、震災における民医連の活動を振り返ってみましょう。緊急時には、組織の理念や日常活動が端的に現れます。民医連はのべ一万五〇〇〇人が支援に駆 けつけ、その規模の大きさと内容の豊かさが大きな注目を集めました。
民医連の支援活動に、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」が重なりました。詩の一節に「東に病気の子どもあれば、行って看病してやり」とあるほか、繰り返し 「行って」とのフレーズが出てきます。民医連の活動は賢治の「困った人のもとへ行く」思想が体現されたのではないでしょうか。
民医連以外の医療チームは、どうだったのでしょう。埼玉県のある避難所に入ったチームは、救護室まで来るようにと被災者に指示しました。震災直後の急性 期を過ぎた途端、「もう、医師のやることはない」と引き上げたチームがありました。
民医連には、感染防止のために先頭に立って避難所のトイレを掃除した医師がいました。被災者を抱きしめて話を聞く看護師がいました。無数の足浴隊が活躍 しました。チーム医療や地域訪問など組織としての“日常”が、いざという時に自然と支援活動につながったのだと思います。
原発事故被害者の支援でも、日頃の活動が力を発揮しています。四月に川俣町・山木屋地区で行われた住民向け学習会で、「子どもや孫は避難させたいが、自 分は歳だから今さら逃げても」と話す高齢者に対し、講師を務めた医療生協わたり病院(福島市)の齋藤紀医師は、「お気持ちはわかるが、家族がバラバラに なってはいけない」と応えました。
これは長年、広島で被爆者を診てきた医師だからこそ、口にできた言葉です。被爆者が亡くなったのは放射線障害の影響だけではありません。家族を失ったこ とも死亡率を上げたのです。内部被曝や晩発性障害の危険性をいち早く告発したのも、民医連の医師でした。原爆症認定集団訴訟の支援や日常的に被爆者医療に 携わってきた経験と実績が活きたわけです。
震災に乗じて構造改革
震災で組織の理念があらわになったのは、今の政府も同じです。職員の中には、「これほどの大災害なのだから、どんな政府でも被災者の救援を最優先するだろう」と考える人がいるかもしれません。
では、今の政府がやっていることは何でしょう。震災から五カ月になりますが、いまだに被災者は生活の目処が立たず、被災地では貧困と格差拡大が進行して います。脱原発の世論が高まっても、原発依存のエネルギー政策を変えません。それどころか、震災に乗じて消費税増税や水産特区など財界向けの構造改革路線 を押し進めようとしています。
震災から数カ月の間に、介護保険法「改正」と「社会保障・税一体改革成案」をあいついで決めました。いずれも財源優先で社会保障切り捨ての発想です。義 援金支給を理由に生活保護の打ち切りも行われています。
阪神淡路大震災では、復興予算のほとんどが新長田駅前の再開発や神戸空港建設など、被災者の生活再建とは関係のない大企業の利益のために使われました。 当時の神戸市長は「創造的復興」との言葉を使いました。この言葉は今回の震災でも繰り返し語られています。
復旧対策用の第二次補正予算は、わずか二兆円弱。銀行の不良債権処理時には三〇兆円も出したのに、どうして未曾有の国難時に二兆円なのか。政府の財界奉仕の姿勢が如実に表れています。
構造改革路線の被害者ともいえる生活保護受給者が今年三月、五九年ぶりに二〇〇万人を突破。国内の所得格差を示す「相対的貧困率」も過去最悪の一六%です(図1)。震災はもともと構造改革で疲弊した東北地方を襲いました。全ての被災者の人権を守ることなしに、復旧・復興はありえません。
被災地に駆けつけた職員の皆さんは、命の尊さを学び、改めて「民医連とは何か」について深く考えたはずです。被災者に寄り添う支援を続けてきた私たちだ からこそ、現場のニーズがわかります。全ての被災者の救援を念頭に、「権利としての社会保障の確立」「脱原発」「消費税増税反対」「水産特区やTPP参加 反対」を復旧・復興のキーワードに、国民的運動をつくりましょう。
奨学生が過去最多に
第三九回総会で掲げた運動方針のうち、最重点課題に医師養成を挙げました。今年入学した医学部一年生のうち、民医連奨学生は五六人(七月時点)と統計をとり始めた一九九四年以降、過去最多の人数になりました(図2)。二年生は七五人と過去二番目の高水準、三年生も大きく増えています。
昨年六月の医師・医学生委員長会議(伊東集会)の成果が確実に現れていると思います。ただし、四~六年生は例年並みにとどまっています。対象者を広げ、奨学生を増やしましょう。
また、震災では多くの医学生が被災地に駆けつけました。震災支援は医師が育つうえで絶好のフィールドワークです。学生が医師を志した初心を育むことができるよう、援助を惜しみません。
震災と原発事故は、改めて医師の原点と役割を問いかけています。民医連の医師は医療支援活動を指揮し、チームをつくる役割を担いました。原発事故でも全国 の民医連医師が、住民学習会の先頭に立っています。一九五九年の伊勢湾台風で、現地の支援活動が愛知の民医連づくりに発展しました。今回の支援も、被災地 での民医連の拠点づくりにつなげていきたいと思います。
震災と原発事故被害者の支援を通じ、医師会、漁協、農協など、これまでにない団体と民医連とのつながりが生まれています。公的医療費の大幅増や被災地の 医療再建などを掲げ、一一月二〇日に東京で「ドクターズデモンストレーション二〇一一」を企画しています。デモンストレーションの呼びかけ人には、民医連 以外に多くの医師が名前を連ねています。
幅広い団体との「協同と連携」は、震災支援のポイントの一つです。新しい福祉社会をつくるために、私たちはどのように行動すればいいのか―。大いに議論をしてほしいと思います。
(民医連新聞 第1505号 2011年8月1日)