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民医連新聞

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「孤立、させない」 仮設訪問をスタート 宮城 坂総合病院

 宮城・坂総合病院(塩竈市)は、6月30日に仮設住宅を一斉訪問し、健康状態を聞きとりました。被災者の生活が避難所から仮設へと移る中、懸念されるのは「孤立」です。訪問の結果、孤独死が発生していたことも判明しました。(木下直子記者)

 午後一時半、医師三人看護師二五人を含む八〇人が、同院社保委員会の呼びかけに応 えて、各職場から集まりました。意思統一をし、健康調査票や血圧計、熱中症予防の注意点を書いたリーフレットを携え、編成されたチームごとに出発してゆき ます。訪問先は、塩竃・多賀城両市内にある離島をのぞく仮設住宅全六カ所。
 坂総合病院のある塩竃市と隣の多賀城市では、避難所から仮設へ被災者たちの移動が始まっています。

80人が仮設訪問

 記者は市営住宅跡地に建てられた多賀城市の仮設へ向かうチームに同行。車で一〇分ほど走ると、住宅街の一角にプレハブの長屋が出現しました。この日は宮城でも三四度超えの記録的な暑さになり、強い日差しが仮設の頼りない屋根や壁を照りつけていました。
 「坂病院です」。佐藤美希さん(医師)と大槻真由美さん(事務)が一軒目の扉をたたくと、「あがって」と、年配の男性に招き入れられました。玄関には急 ごしらえのスロープ。夫が妻を介護している世帯で、2Kのスペースに車イスやベッドが入っていました。妻の介護度は4、それまで介護を手助けしてくれてい た長女を、あの津波で亡くしました。
 「お困りごとは?」と、二人がたずねると、「月に四、五日でも仕事があれば助かる。年金が低いから。もらった義援金は津波で流されたレンタカーの賠償に あてた。今は妻をみる人がいないから、仕事があっても無理だけれど」と。大きな持病はないものの、食欲のなさを訴え、この時も昼食をとっていませんでし た。
 次の世帯でも「ケガを診て」と、玄関先で診察が始まり、そうしている背後からも「どこから来たの?」と窓ごしに声がかかります。
 「突然訪問して話が聞けるだろうか?」という職員たちのはじめの心配は「話を聞く時間が足りない!」に変わっていました。

睡眠障害や体重減少が

 こうして訪問した世帯は四五七軒、うち一四三軒と面談できました。健康調査は一一四人から。
 「寝付きが悪い」と回答したのは三〇人、「早く目覚める」が四一人でした。また、「食欲がなく食べられない」という人が一三人おり、「震災後に体重が 減った」人は三四人でした。このうち五キログラム以上減った人が八人、最大一三キログラムでした。
 血圧測定は三三人に。最高血圧が一五〇を超えた人が一三人で、うち治療中の人は三人でした。
 体重減や高血圧など気になる状態だったが通院歴のない八人については、個別対応することに。
 これまでも気になる被災者の情報は、自治体の保健師などを通じて民医連の心のケアチームに寄せられてきましたが、「訪問して良かった」と、先述の佐藤医師。

孤独死が起きた

 そして、塩竃市の仮設を訪問したメンバーは、孤独死が起きたことを、そこに来ていた警察官から知らされました。発見は前日、死因は熱中症とみられています。
 仮設に足を運んでみて、職員たちが挙げた懸念も、真夏日にもかかわらず、エアコンをつけている世帯が少ないことでした。多くが室温三〇度超。とりわけ仮 設住宅は通常の住宅以上に暑さ寒さの影響を受けやすい特徴があります。
 こんな風に語った入居者がいました。「避難所にいた時は、光熱費も食費もいらなかったのが、仮設に来たら、すべて自分持ちだ。被災者であることは何も変 わってないんだけどナ。節約してるヨ」。同じように、経済的な不安から、暑さに耐えている世帯が多いとみられます。

「見守り」欠かせない

 被災者たちはプライバシーのない避難所暮らしから、ようやく脱しました。しかし、仮設の設置場所が、野球場や駐車場などで、環境が良いとはいえません。入居したものの、避難所や壊れかけた自宅に戻った人もいます。「死にたい」と訴えて、心のケアチームが出動した人も。
 大規模な仮設になると、一カ所に一〇〇世帯超が入居。住民同士のつながりが弱い中、一人暮らしや高齢者世帯を中心に、見守りが必要です。しかし塩竃市で も多賀城市でも、仮設への人員配置はしていません。住民用の「談話室」が施錠されており、使えていない、という苦情も出ています。

 坂総合病院では仮設入居者への支援を目的に、「パーソナルサポートチーム」を結成しました。先述の気になるケースのフォローもこのチームが担います。
 七月から、仮設ごとに毎週「健康相談会」も開催。地域の購売生協とも初めて共同した生活用品の「お譲り会」などもとりくみます。住民同士のつながりを構築するために、模索が始まりました。

(民医連新聞 第1504号 2011年7月18日)