駆け歩きリポート 医療者&教育子育て九条の会 香山リカさん講演 いのち、子育て、そして九条 ~こころの医療の現場から~ 平和主義の日本にいる私 憲法九条をアイデンティティーに 東京
六 月一○日、都内で教育子育て九条の会と九条の会医療者の会が共催で講演を行いました。講師は両会の呼びかけ人である精神科医の香山リカさん(立教大学現代 心理学部教授)。呼びかけ人の三上満さん(教育評論家)、住江憲勇さん(保団連会長)、佐藤学さん(東京大学教育学部教授)が挨拶し、会の活動交流も行い ました。香山さんの講演概要を紹介します。(安丸雄介記者)
被災によるストレスは実害
講演のテーマは「いのち」です。今年五月だけで三五八一人が自殺し、「三月までの減少傾向が一転急増」と報道されました。被災地で増えたかと思いますが、むしろ宮城は減少、福島で若干増、岩手はほとんど変わらず、首都圏を中心に大都市で増えています。
私が務める都内の病院でも、精神的ダメージを受けている人が少なくありません。さらに、精神医学で「共感疲労」という、相手に共感するあまり自分が疲弊 し、燃え尽きる現象も見られます。「私でなく、なぜあの人たちだけが被災したのか」と自己嫌悪する人も多い。
また、原発事故によるストレスは、次の三重構造になっています。
(1)「ストレス源が目に見えない」―。目に見えれば離れたらいいが、放射性物質は目に見えない。目に見えないものは身体症状だけでなく、心理的ダメージも持ちます。
(2)「いつ終わるのか分からない」―。いつまで我慢すれば終わると分かれば、まだ耐えられる。「収束の見込みがない」などと言われると、出口が見えません。
(3)「誰を信じていいか分からない」―。これほどストレスが増えることはない。「原発事故で政府は正確な情報を隠蔽して大げさに危険だと言っている。 実際の危険度は一○○○分の一だ」と話す学者さえいます。
これらのストレスなどの被害は、原発事故がなければ起きない独特の実害です。気のせいや思いこみではない、他の災害では起きない事態ですから。
改憲で制御不能
私は震災一週間後に現地に入りました。避難所の住民は、「ほしい物は何もない。服ももらい毛布もある。これで今は十分」と話していました。命の危機に際しては意味がなかった物質的な豊かさ。「あんなものに苦労してきたのか」「物って何?」と虚しい気持ちになりました。
また、今回の震災を体験し、津波や原発だけでなく、私たち人間は何でもコントロールできるという錯覚に陥っていたのではないかと思いました。自分の人生 もマネジメントして効率よく暮らして自らを向上させるという、「経済人」の価値観を生活にも応用できると考える人もいます。
理性があれば全てを管理できるなんて、これは人間の錯覚です。今回の津波でも分かったし、原発事故はこれ以上ないサンプルになりました。暴走し始めたら どうにもならない。これは憲法九条を変えて起きる事態と同じではないか。
私が護憲を言うのは現行憲法を愛しているというより、「改憲してもすぐ戦争にならないから大丈夫」との理屈は信用できないから。だから憲法を変えるな、と言い続けてきました。
診察室にいると、人間は説明しつくせない、自分をコントロールできないことがあると分かります。まさに今回の原発事故のように。
二度と悔やまないように
「理想」を言うと効率や経済成長だけで説明できない立場になるので、いまの日 本では「反社会的」になってしまう。それで、うまく説明するのが面倒で、声に出しても仕方ない、とつい声が小さくなることもありました。話してみても「現 実的ではない」と排除され、発言機会が少なくなることもありました。
しかし、今回の原発事故の前から原発を「危険」と言い続けてきた人はいます。話を聞くと「私たちの伝え方が悪かった。もっと聞く耳を持てる形でなぜ伝え られなかったのか、伝え方がうまくなかった」と、自責の念を持っています。「狭い世界で終わっていたのでは、と本当に悔やまれる」と話していました。
九条の問題も同じです。これまで無関心だった人が改憲されてから後悔して、「憲法を変えない方がいいと言ってくれていた人もいたのに」と言っても、改憲 してからでは遅い。原発問題で活動してきた人の「悔やむ」姿を見ると、これが憲法に関してはあってはいけない。反省して憲法を元に戻せればいいが、それは できません。
いま理想論を言っても仕方ないと思考停止していた社会のムードは変わってきていると思います。理想に基づく原理原則、平和は大事、いのちを守るのが先 決、と言って聞いてもらえる世の中になっています。いまこそ憲法問題を大きなうねりにして声を上げていければと思います。
いまこそ九条の声を
これまで私も海外の旅行先で「日本は経済大国だ」と言われ、それがアイデンティティーになることもあった。経済大国、技術大国の日本にいる私。羨望の目で見られ、私自身が立派な人間になったかのような錯覚に陥るのも確かです。
今後、残されるのは憲法九条。これを私たちのアイデンティティーにし、平和主義の日本にいる私、これを「売り」にしていく。震災直後に日本人は協力的で 礼儀正しいと海外で報道され、一時期「心の平和主義」で自分の誇りを取り戻す人もいました。お金がなくても私たちは精神的にすごい、平和を愛して憲法に し、それを守る。これは評価されることで、私たちの一つのよりどころ、立派な柱になると思います。
いまだからこそ大きな声でものを言う、いまだったら聞いてもらえる。原発事故で「あのとき聞いておけばよかった」というような事態を二度と繰り返さない ためにも、九条の会の活動を大切にしていければと思っています。
(民医連新聞 第1503号 2011年7月4日)