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民医連新聞

民医連新聞

被ばく問題交流集会 公開シンポ 健康被害と向き合い 原発のない日本つくる出発点

 全 日本民医連は六月一八~一九日、東京で第一二回被ばく問題交流集会を開きました。一八日は公開シンポジウム「福島第一原発事故から何を学び、周辺住民およ び原発労働者のいのちと暮らしをいかに守るか」を行い、二七三人の参加で会場があふれました。「私たち医療者が住民の被曝による健康被害と向き合い、原発 のない日本をつくる。数十年続くたたかいの出発点」(小西恭司副会長)となりました。

福島の職員が語った

 被ばく問題交流集会が、これだけ大規模に行われたのは初めて。医師や研究者の講演、福島県内の農家や市議の訴え、原発立地県の県連からの報告がありました(詳報は次号の民医連新聞で)。

 シンポ後半で、福島県の二人の職員の発言が参加者の胸に響きました。浜通り医療生協(いわき市)組織部の工藤史雄さんは、涙ながらに「それでも、この地で生きていく」と決意表明しました(要旨は下項に)。
 桑野協立病院(郡山市)放射線科の中里史郎科長は、住民の暮らしを守るとりくみについて報告。同院は放射能問題で住民向け学習会を五月に一二回も開催 し、放射線技師が講師を務めました。また、線量計一〇台を購入し、職員と医療生協組合員で地域の放射線量を測定。院内保育所の敷地の表土を削り、ヒマワリ の種をまきました。今後は測定に基づく「汚染マップ」を作成し、線量の高い地域の表土を削るなど除染にとりくみます。全国から除染活動のボランティアも募 る予定です。
 中里さんは「除染活動やヒマワリ運動の輪を広げたい。セシウム137の半減期は三〇年。私たちはこれからも被曝問題に向き合います。皆さんも、半減期より長い支援を」と呼びかけました。

「私の行動記録」普及を

 全日本民医連は戦後から原爆被爆者医療にとりくみ、原爆症認定訴訟も支援してきま した。職員や共同組織が各地で原発に反対する住民運動に参加、被ばく問題交流集会も一九九六年から原発問題にとりくんでいます。こうした医療団体として 今、原発事故の内部被曝から住民を守る活動の先頭に立つことが求められています。
 公開シンポでは、原発事故後の行動を記録し健康管理や治療に役立てる「私の行動記録」と、職員学習用パンフ『福島第一原発事故から何を学び、取り組むのか』の積極活用が呼びかけられました。
 小西副会長は内部被曝から住民を守る活動として▽放射線量の測定と高線量地域の土壌などの除染▽ホットスポットからの一定期間の疎開の検討▽「私の行動 記録」の普及▽公正・中立の第三者機関による無料の検診体制の確立▽ゲルマニウム半導体などによる食品の検査、を提起しました。(新井健治記者)

それでも、フクシマで生きていく者として

浜通り医療生協 工藤史雄さんの発言 (要旨)

 私は妻と生まれたばかりの娘を石川に避難させました。妻子がいわき市に戻るまでの2カ月、娘を抱けませんでした。ともに働く仲間には、避難し職場を離れた人もいます。「このままでは子どもを守れない」と考えた母親を、私は責められません。
 子どもを呼び戻して、明日原発が吹き飛ばない保障はありません。「ただちに健康に影響は出ない」とは承知しています。しかしごく少量の被曝でも「絶対に 影響がない」と言えないことも知っています。晩発性障害に閾値がないことは、私たちが以前から主張していることだからです。将来、娘に「あの時、いわきに 帰っていなければ」と言われる日が来るかもしれません。
 では、私たちは職場を捨て、故郷を出なければならないのでしょうか? 「福島から疎開を」と言う学者もいます。この主張には生活者の視点が欠けてはいないか。孤立して生きられる人はいません。夫が移住すれば、妻子も移住します。妻も職探しをしなければなりません。
 私たちはこれまで通り、この地で生活し、生産し、消費していかなければならないのです。「それでも、この地で暮らしていく」―そのために何をすればよいかを考えなければなりません。放射能から逃げ回るのではなく、放射能のリスクをどう克服していくか。
 国は広島・長崎の原爆被爆者に、被爆者健康手帳を配っただけで、「爆心地から1.6キロ以上離れた場所で被爆したので、あなたのがんは原爆によるもので はない」と、切り捨てました。今後福島でも、同様の問題が出てくるはずです。「第1原発から31キロだから、がんは原発事故によるものではない」と。今度 はこんな主張を許してはなりません。
 国は“ばく”の字が違う「被曝者手帳」を発行し、全住民対象の検診を20~30年にわたって行うべきです。
 幸い私たちには若干の時間があります。しなければならないこともたくさんあります。先日、福島民医連の仲間とこの話をし「他県でも内部被曝の恐れはある」「すべての人が行き届いた医療を無料で受けられるよう求めよう。それが民医連だ」と、まとまりました。
 私たち福島県民は3・11以降、決定的な運命を担わされました。
 ヒロシマ・ナガサキの人と同じように、「語り部」としてこの愚行を伝え、政府や電力会社の監視を続け、脱原発を国民全体に広げていかなければなりません。
 ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ。そして、ノーモアフクシマ。福島で生まれ、育ち、これからも生活していく者として、強く決意します。

(民医連新聞 第1503号 2011年7月4日)