被災地発(1) 原発事故で不安な住民を「心のケアチーム」で支援 福島県南相馬市
震災から三カ月以上が経過しました。被災地や被災者の状態はどのように変化し、どのような支援が求められているのか―。新連載「被災地発」で、岩手、宮城、福島などで奮闘する民医連職員の姿とともにお伝えします。
■保健師と地域へ
原発事故がいまだに収束せず、小さな子どもがいる世帯の不安が大きくなっています。そうした中、民医連の精神科医や精神保健福祉士(PSW)、看護師らが「福島県立医大心のケアチーム」に参加し、五月三〇日から福島県南相馬市で活動を始めました。
同市は福島第一原発から半径二〇キロ圏内の警戒区域をはじめ、市域が三つの避難指示圏に分断されました。事故に伴う住民の心のケアが必要ですが、被曝の 不安のせいか、他の地域に比べると県外支援者が少なく、福島県立医大の要請に民医連が応えました。
これまで、長崎チーム(長崎大、長崎県医師会、長崎市医師会)や日本精神保健福祉士協会がいち早く継続的な支援にとりくんでいます。民医連の精神科チー ムも継続的で有効な支援を行おうと全国の医療者が力を結集しています。
南相馬市は市内や近隣の精神病院が事故の影響ですべて閉鎖、精神科診療所も再開は二カ所のみ。入院患者はすべて転院させたものの、問題は外来患者です。 三月一一日以降、受診が中断していた外来患者は数百人に上るとみられ、薬が切れて病状が悪化した人も。市の保健師が患者の状態把握に避難所や自宅を訪問し てきましたが、人手が足りません。
第一週を担当した大泉生協病院(東京)精神科医の中島昭さんは「南相馬市とその周辺の救急医療が危機に瀕しているという、市民病院の医師の真摯な呼びか けが気になっていました。原発問題で困難な状況に直面している地域の実情を知らなければと思い、支援を決めました」と話します。
民医連は精神科医一人、PSWらコメディカル二人の三人一組で、七月上旬まで一週間交替で支援に入ります。精神科医は山口、愛知、京都、青森、鳥取など 全国から集まり、南相馬市を中心に相馬地区に入る予定です。
民医連の三人は市の保健師や看護師とペアを組み、地域に居住している人の家を回り、健康状態を確認しながら相談時の連絡先を伝えていきます。「保健師を はじめ、市職員が今できること、すべきことにきめ細かくとりくんでいます。家族も支え合って困難な状況を乗り越えようとしており、不安とさまざまな思いの 中、私たちに笑顔で応対してくれる姿が印象的でした」と中島医師は話します。
東京民医連の三郷市地域包括支援センター早稲田から支援に入った星野巳佐子センター長(看護師)は、戸別訪問や五月二八日から入居が始まった仮設住宅で の健康調査を担当。「家庭菜園が趣味だったうつ病の女性が、原発事故の影響で作れなくなり、閉じこもり気味になっていました。仮設住宅では高齢者が孤立化 する傾向が強く、ケアが必要です」と指摘します。
宇部協立病院(山口)のPSW、堂本祐三子さんも戸別訪問を担当しました。「患者は予想以上にしっかりしていた。ただ、子どもの姿が消えた町の風景は異様でした」と言います。
■民医連の支援に感謝
福島県立医大心のケアチームは福島県の浜通り(太平洋岸)の精神科医療を担っています。浜通りの北部はもともと精神科医療の資源が少ないうえ、原発事故で多くの医療機関が閉鎖しました。
チームを組織した同大の丹羽真一教授は「震災直後は服薬の中断や慣れない避難所暮らしで、病状が悪化する患者が多くいました。震災から三カ月がたち、今 度はうつやPTSDが出てきました。特に子どもを持つ母親の不安が強く、ケアが不可欠です」と指摘します。また、原発事故への不安から、住民の不眠やアル コール依存も心配です。
チームは民医連のほか全国の大学病院、精神病院、自治体チームの支援を受け、公立相馬総合病院に臨時の精神科外来を開設しました。丹羽教授は「私たちの 呼びかけに多くの医療機関が応えてくれました。民医連の支援に感謝します」と話します。
■職員も被災者
南相馬市は市職員も被災者です。心のケアチームが拠点にしている原町保健センターの保健師の中には、警戒区域に自宅があり、子どもや両親とバラバラの生活の人も。精神的疲労が蓄積していますが、大変な状況の中でも住民の健康管理に力を発揮しています。
南相馬市健康づくり課の中里祐一課長は「当市は原発の影響で、なかなか支援の人たちが入りづらい。民医連の支援は非常にありがたい」と言います。精神病 院の閉鎖で、いざという時の入院機能がないことは大きな不安です。「病院を再開するためにも、早く原発事故を収束してほしい」と語気を強めました。(新井 健治記者)
(民医連新聞 第1502号 2011年6月20日)