被災地リポート 大船渡 北海道・東北地協が奮闘 陸前高田 避難生活を乗り切る背景 岩手
五月二~四日、中央社保協に同行し、被災地の岩手県大船渡市と陸前高田市を訪問しました。沿岸まで五キロほどの地点で車窓の風景 は一変、瓦礫(がれき)が無惨に放置されています。震災から二カ月たってもなお、津波の傷跡が色濃く残る被災地で、支援に来ていた民医連の医師らに話を聞 きました。(滝沢洋子・国民運動部)
“橋渡し”を意識して
―大船渡市
大船渡市の市民会館「リアスホール」は、民医連の支援拠点の避難所です。市内 に民医連の事業所はありませんが、岩手県連と北海道・東北地協が支援に入っています。ADLが落ちて動けない、移動手段がないために受診できない、といっ た主に高齢の患者を見つけ、地元医療機関や行政につなぐことも重要な役割です。
「何をするにも行政に相談します。毎夕、市役所で調整会議を開き、情報を交換しています」と話すのは、川久保病院(岩手県盛岡市)の遠藤洋史さん(事 務)。調整会議には保健師、医療支援チーム、心のケアチームのほか、県立大船渡病院や気仙医師会が参加することもあります。北海道民医連の塩原康弘医師 (勤医協中央病院)が「避難所でリハビリのニーズが高い」と報告したところ、行政が機敏に対応。被災者のリハビリに力点を置き、気になる患者をリストアッ プしていくことになりました。
「治療が必要な被災者は、私たちで抱え込まず、開業医や元の主治医へ橋渡しをしています」と塩原医師。「被災体験は無理やり聞き出す話ではないから、 ゆっくり診るようにしています。すると、辛い胸の内を明かしてくれることもあります」。診察を通して、心のケアにもとりくんでいます。
身近な行政への信頼
―陸前高田市
死亡・行方不明者が人口の一割にのぼる陸前高田市。甚大な被害を受けた町で、「雰囲気がいい避難所がある」と聞きました。市内に四〇以上ある避難所のひとつ、約五〇人が生活する市立米崎小学校です。
「避難所暮らしはもっと辛いかと思ったけれど、みんなで助け合い二カ月はあっという間だった」と話す被災者の傍らに、避難所のまとめ役を買って出た共産 党市議の大坪涼子さんの姿がありました。不自由な避難所暮らしを乗りきる背景には、大坪さんのようなまとめ役の存在とともに「子どもはみんなの孫」という 根の張ったコミュニティーがあります。
市民の絆の強さには理由が。八年前、リゾート開発優先だった当時の市政への危機意識から住民運動が組織され、市民はまちづくりへの参画意識を高め、市民 に顔を向けた市政を誕生させました。震災の一カ月前には市長選があり、戸羽太市長が誕生しました。
「なるべく市のお金は使わんように」「戸羽市長に迷惑かけられん」―。まるで自分の懐を心配するように市の財政に気を使い、身内のように市長を労わる言 葉を被災者から聞きました。身近な行政への信頼も、過酷な現実に立ち向かう確かな力になっていました。
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移動相談会
生活再建を手助け
宮城
被災地支援は、くらしや雇用といった生活再建の手助けに移行 しつつあります。五月に宮城民医連や全国支援の職員が、宮城県の「移動なんでも相談会」(主催・東日本大震災共同支援センター)に参加しました。移動相談 会は五月一四日に石巻市、二一日に仙台市、二八日に名取市で、それぞれ週末に開催されました。
二一日、仙台市若林区の市立六郷中学校で行われた移動相談会には、民医連から約九〇人が参加。若林区は市の中でも津波被害が深刻だった地域で、同中体育 館にはいまだに一七〇人が避難しています。前日に中学校周辺にチラシを配布して相談会を宣伝、約九五〇人が訪れました。
宮城民医連のセントラルキッチンが牛丼五〇〇食を提供したほか、労働相談や法律相談、医療・健康相談のコーナーを設けました。医療・健康相談を担当した 土庫病院(奈良)の看護師・森圭介さんは、「ほとんどの人が不眠を訴えてきました」と指摘。被災者の不安やストレスがうかがえます。
川崎協同病院(神奈川)の看護師長・木下和枝さんは、「前日の宣伝行動で、『家を流された人に比べたら、うちはまだましだから』と、ほかの被災者を気遣い来場を遠慮する人が多くいました。よりいっそうの援助が必要なことが、地域に入るとわかりますね」と話します。
宮城民医連は地域のニーズを把握するために、「要求・要望アンケート」を作成。心身のケアとともに、被災者の生活不安を根本的に解決しようと努力しています。
(『いつでも元気』武田力記者)
(民医連新聞 第1501号 2011年6月6日)