駆け歩きレポート 悲しみこらえ歩む 全国の支援者とともに 松島海岸診療所 (松島医療生協) 宮城
大震災では宮城の仲間四人が命を落としました。うち三人が働いていたのが松島医療生協のデイサービス「なるせの郷」。利用者一二 人も亡くなりました。同法人の松島海岸診療所は民医連の支援拠点の一つとなり、全国の支援者とともに活動しています。仲間を失った悲しみをこらえ、家が壊 れ身内を失う被災の中で、がんばる職員たち。それを助け、組合員を見舞い、支援物資を届ける支援者たち。回復までの道のりは長くとも歩み続けます。(小林 裕子記者)
松島海岸診療所の朝、まもなく「おたっしゃデイ」の始まりです。診療所の入り 口に、利用者を乗せたワゴン車が次つぎ到着。「おはよう」「大丈夫だからね」「そうっとね」。待ち構えていた支援者たちの手で、車イスごと持ち上げられて 二階へ。歩ける利用者はささえられ階段を。こんな風景がエレベーター復旧まで続きます。
ヘドロをかき出して
診療所は一階が水没、床一面にヘドロが積もりました。でも「一日も早く診療を再開したい」と、山崎武彦所長は三月一四日から二階で診療を始めました。この日、受診者は三〇人。翌一五日は避難所へ。最初の医師訪問でした。
支援者の一番目の仕事は、診療所のヘドロを除去し、一階で診療を可能にすることでした。山崎所長は「きれいになった床を見た時、涙が出た。『これでやれ る』と思った」と話します。断水し、井戸水をくんで床や壁を洗うような作業。「全国の力はありがたかった。先生がたも大勢来てくれて…」。
歯科ユニット一一台中三台を修理し歯科も再開しました。「なるせの郷」の利用者は診療所のデイケアに送迎しています。併設していた介護相談センターも診 療所内に移転して再開。中古車の寄付もありました。
最期まで利用者を
亡くなった土井芳子さん、高橋まゆみさん、山崎保子さんのことを聞きました。 土井さんは所長で「介護は天職」と自他ともに認める人でした。涙ぐみながら石渡さおりさん(看護師)と安部加代子さん(ケアマネ)が語る人柄は「情が深く て、無類にやさしい。相手に響く言葉をもっていた。楽しませながら集団を引っぱる人」。土井さんは利用者を抱くような姿勢で見つかったと消防の人が話した そうです。安部さんは直前まで土井さんと働いていたのです。
高橋さんは「なるせの郷」の開設を前に介護福祉士の資格をとった努力家でした。事務パートから常勤職に転じ、目をキラキラさせて働いていたといいます。 山崎さんは運転手で「縁の下の力持ち。お母さん的存在だった」そうです。
心のケアが必要
青井克夫専務は話します。「三人のことを思い出したら、つらくて仕事にならない」。家を流され「子どもの写真一枚すらない」職員、夫の両親をいっぺんに失った職員もいます。
山崎洋子さん(介護福祉士)の家は半壊。ブルーシートで屋根を補修し、要支援の義父を含めて五人家族が八畳間で寝ています。岩渕純子さん(ST所長)の 家も被害を受け、トイレが使えません。診療再開から、みな休みなく働いています。「それは責務だから」と言う二人。「それに、患者、利用者と日々接してい るから、意外に気持ちに張りがあるんです。もっと大変な人がいますし…」。
「なるせの郷」にいた職員、その人たちを気遣いながら働く職員。青井専務は誰もが心に傷を負っていることに気づき、メンタルケアの支援を民医連に要請し ました。青森、奈良、宮城などの精神医療チームが来ました。カウンセリングを受けた職員は「肩の荷が下りた」とのこと。専門医から「このような事態での フォローは初めて。手探りだが今後の糧にしたい」との声も受け、青井専務は「引き続き職員の健康に注意しなくては」と考えています。
あの時…
あの日の大きな揺れの後、職員らが避難しようとした矢先、頭を負傷した患者が 来診しました。山崎所長は五針縫合して止血、そのあと寝たきりの患者を迎えに。看護師たちも、それぞれデイサービスの利用者を迎えに行って、いっしょに避 難先へ。急きょ確保したホテルでした。在宅酸素の患者二人のボンベの確保、不穏になった認知症患者の世話、続ぞく避難してきた住民の体調管理など、職員た ちは慌ただしい夜を過ごしました。青井専務は「結果オーライだったが、あの場で手術し、迎えに行く行為は正しかったか?」と自問します。
「なるせの郷」でも同様の対応をしていました。安部さんは、「自宅に帰りたい」という利用者の手をとり、歩き出したとき、四メートルの水の壁が迫るのを 見ました。名を呼び合いながら流され、奇跡的に安部さんは助かりました。いまも「ほかの行動があったのではないか?」という気持ちに苛まれます。人間の判 断を超える事態の中、誰にも正解は言えません。
「きっと天国でも…」
安部さんは、利用者の家族から「家に帰りたいという最後の願いを叶えてくれた のですね」と言われ、ほっとしました。最期まで悩んだに違いない土井さんを思うと、苦しくてたまりません。でも、「きっと天国でもデイサービスをやってい る、と思うことにしました」と。利用者に「助かってよかったね」という言葉をかけた時が、自分がケアマネに戻った瞬間だったと語りました。
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松島の三大産業、観光・漁業・農業が壊滅状態です。「この地域の経済の落ち込みを考えると治療中断や住民の健康悪化が心配」と言う山崎所長。デイサービスセンターの移転新築を展望しながらも、総額六~八〇〇〇万円の損失を補うのは大変です。
引き続き全国の仲間の支援に期待し、松島の職員のみなさんに早く「仲間をしのび、思い出をゆっくり語り合う時間」が訪れることを願わずにおれません。
(民医連新聞 第1499号 2011年5月2日)