124人の仲間と出発! 民医連の新入医師たち
この春から民医連で研修を始めた医師は一二四人です。全日本民医連新入医師オリエンテーションが四月一五~一六日に東京で行わ れ、一二〇人の新入医師を含む二〇〇人が参加しました。東日本大震災の影響で各種行事が中止・延期になる中、「こういう時だからこそささえ合う仲間をつく り、初期研修への意欲を高めよう」との開催です。(新井健治記者)
全日本民医連の藤末衛会長が「地震で社会全体が揺さぶられ、社会の問題点が噴き出した。若い医師はまず現場を見て、行動して、考えること。それが血となり肉となる」とあいさつしました。
先輩が語る民医連の研修
記念講演は「わたくしの現在・過去・未来『ブランド』づくりのススメ」と題し て、医療福祉生協連家庭医療学開発センター所長の藤沼康樹医師(東京・生協浮間診療所)が自分史をふり返りました。日本医師会総合医カリキュラム作成委員 や医学教育学会国際委員など家庭医療学、医学教育のパイオニアになった背景には「二八年間、同じ地域で患者を診てきた強みがある」と藤沼医師。
日本プライマリ・ケア連合学会理事として震災支援(PCAT)も任されています。キャリアパスではなく“自分ブランド”をつくる重要性を強調し、「研修 は苦しいことも多いが、仲間の成長が自分の成長のように喜べる関係を同僚医師と結べば、きっと乗り越えられる」と話しました。
先輩医師からのメッセージは、山梨・甲府共立病院(二八三床)の新村剛透医師(〇五年卒)と、長崎・上戸町病院(一〇四床)の領家由希医師(〇九年卒) の二人。新村医師は「民医連の研修医は、大学病院や有名臨研病院と比べて研修の質が劣っているのではないかと不安を抱きがちだが、他病院の研修医たちから は民医連ではどんどん患者を診て実践的な実力をつけていると評価されている」と話しました。
家医師は、離島からヘリコプターで救急搬送された患者との出会いを報告。退院から一〇日後、主治医として患者の住む鹿児島県の平島に出かけました。平島 は人口七八人。交通アクセスが週二回のフェリーだけというへき地の患者訪問は、民医連医師ならではの経験でした。「どんな場所でも、そこに住む人の暮らし があることを患者から教わった。その人らしく生きるための援助ができる総合医・家庭医になりたい」と話しました。
日本民医連医師研修委員会委員長の山本一視医師は、民医連医師研修の強みとして、(1)地域に学ぶ(2)多職種の中で育つ(3)組織の中で役割を担う (4)自らが研修づくりに参画するの四点を紹介。「プロフェッショナリズムとは予想外のことがあっても足に力を入れて踏みとどまれること、そして困ってい る人のために『ひと肌』脱げること」と強調。最後に「来年のセカンドステージで会いましょう」と締めくくりました。
「人を幸せにする医師に」 宮城の7人も参加
被災地宮城の坂総合病院の研修医七人も参加しました。千葉茂樹さんは南三陸町 の実家が津波で流されましたが、家族は無事でした。「病気を治すだけでなく、患者の人生を幸せにする医師になりたい」と。気仙沼市の実家が流された佐々木 美里さんは「患者を地域で継続してみていく医師になりたい」と話します。
参加者は小集団討論や、チェルノブイリ原発事故で被曝した歌手のナターシャ・グジーさんのミニコンサートで、全国の仲間と交流を深めました。
「同じ道を志す仲間と出会え、研修に向けて自信がついた」「悩みは自分だけじゃなくて、共通するとわかり安心した」「“凄腕”と同僚に尊敬されるより も、“この病院にいてくれてよかった”と患者に言われる医師になりたい」などの感想がありました。
(民医連新聞 第1499号 2011年5月2日)