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民医連新聞

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着の身着のまま命あったが… 住居、生活、これからの支援は?

 坂総合病院には津波で自宅や家財をなくした患者が多くいます。津波に流されながら、命からがら生きのびたKさんもその一人。津波の恐ろしさからのがれても、被災者には困難な状況が…。(矢作史考記者)

 Kさん(76)は自宅で地震に遭いました。立っていられないほどの揺れが五分ほどあり、おさまらないうちに津波が押し寄せました。「水が玄関にチャプチャプときたと思ったら、ドアが開いてドッと流れてきた」。
 津波に流されたKさんは水中に潜り、つかんだフェンスを頼りに耐えました。
 水流がおさまり戻った自宅は何もかも流され、太い流木やプロパンボンベなどが入り込んでいました。周囲の水深が深く、安全な場所への移動ができませんで した。Kさんは横倒しになったタンスの上に乗り、水位が下がるまで二日間過ごしました。「そりゃあ寒かったよ。水に浮かんでいたバナナを食べた」。
 その二日後、身を寄せていた勤め先で体が動かなくなり救急車で坂総合病院に運ばれました。診断は急性消化管出血、そのまま入院しました。
 その後もKさんは、余震のたびに不安になります。そのため、いつでも避難できるように兄からもらったバッグに貴重品を入れ、肌身離さず持っています。

まず退院先を

 順調に回復していったKさんでしたが、車や家財を流され、着の身着のままの状態で退院後の生活に不安を感じていました。
 Kさんの生活相談を担当したのは同院ソーシャルワーカーの本庄美也子さん。Kさんには「災害救助法」が適用され、医療費は無料になりました。
 新居探しには苦労しました。電話などの連絡手段を失ったうえに、高齢者の一人暮らしという条件がネックに。本庄さんが奔走してアパートを見つけました。
 Kさんの兄が、保証人になり、携帯電話の契約などを手伝ってくれました。罹災証明書も発行され、退院しました。自動車免許の再発行も受ける予定です。

 Kさんのように被災者の多くが自宅を失っています。本庄さんはKさんのほかにも二人の患者の住居を見つけてきました。
 回復しても退院後の行き場がない高齢者は多く、受け入れ先さがしに苦労しています。宮城県はもともと全国でも介護施設が少ない県でした。本庄さんは「社会保障が削られたツケが今まわってきた。国の政策が今の困難な状況を生んでいる」と話します。

(民医連新聞 第1498号 2011年4月18日)