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民医連新聞

民医連新聞

東日本大震災現地レポート 青森 岩手 茨城

被災地は広範囲にわたっています。各地からの短信です。

岩手

甚大な被災地へ医療支援チーム

 岩手では民医連事業所のない地域が甚大な被害を受けました。3月18日に藤末衛会長らが現地調査へ。状況を知らされ兵庫の東神戸病院の支援チームが大船渡市に急行。医療支援チームとして登録し活動可能になりました。
 3月22日から、盛岡医療生協の小野寺けい子理事長と看護師1人が現地へ。29日からは北海道から医師、看護師、ケアワーカー、事務が現地入り。3月 27日には、岩手民医連の支援隊二十数人が大船渡市に入り、現地の民主商工会とともに地域への支援物資の配布や戸別訪問などを行っています。
 同じく被害の大きかった陸前高田市に県が6カ所の仮設診療所を設置することになり、民医連は仮設診療所を担う医療チームの登録もしています。

青森

復旧後は支援にまわる

 青森の民医連事業所は、停電などライフラインの停止の影響を受けました。一時は日常診療がストップする事態にもなりましたが、復旧後は被害の大きかった宮城などに支援を送っています。

茨城

透析患者さん 42人の治療がピンチに

 被災直後から水戸市内広域で起こった停電で、茨城民医連・城南病院では、透析 患者さんの治療が続けられなくなる緊急事態が発生しました。市内には受け入れ可能な医療機関はありません。近県の民医連事業所が受け入れに手をあげ、42 人の患者さんの透析治療を続けることができました。3月末から診療体制も戻りました。
 さっそく宮城民医連に6人の支援を送ることに。逆に、福島など県外の被災地からの透析患者さんの受け入れも検討しています。

歯科チーム

歯ブラシ積んで大活躍!

 民医連歯科の支援メンバーは、津波被害で診療できなくなっていた宮城民医連の 松島海岸診療所歯科の復旧作業や、周辺地域の避難所回りを始めています。徳島、東京、北海道、群馬など3月24日までに20人近くが駆けつけました。北海 道の歯科チームは往診器材のポータブルタービン、コンプレッサー、掃除機、切削バーや歯ブラシ1000本を積み込んだ車で海を渡ってきました。
 3月22日には歯科診療が可能になったため、支援隊は避難所へ。被災者の義歯洗浄や、特設ラボを作って義歯修理も行っています。

こんな“声援”届いています

 報道やネットで民医連活動を知った人たちからこんな声援が届いています。

◆医学部の男子学生から電話が。
 「現地に行けないので、クラスに募金を呼びかけました。ネットで民医連の活動を知った。カンパの送り先を教えて」と。民医連を知らなかったという4年生でした。

◆イラク支援の高遠菜穂子さんは、自らのブログやツイッターで川崎協同病院や全日本民医連の支援活動を発信。
 その発信がきっかけで、アーティスト・一青窈さんからも応援メッセージが届いています。

◆民医連がよびかけている支援募金は
 3月29日現在 
 6800万円を超えています

3月11日に生まれた命

 被災の夜、坂総合病院で生まれた命がありました。安産祈願の帰りに被災し、避難所で産気づきました。「いろんな人に助けられた命。大きくなったらたいへんな日に生まれたことを話します」とお母さん。

訪問に涙

 坂総合病院友の会では、3月22日から被害の大きかった地域や高齢の会員を中心に訪問を開始。職員の顔を見るなり涙ぐむ人も。

「民医連に誇り感じた」と青年医師

 香川民医連から4日間、支援に入った原田真吾医師は、感想をこんな風に綴っています。
 被災者の不安に寄り添い、気持ちだけでなく行動でも表すこと、その強さと優しさをもつこと、そしてみんなで一致団結すること。それができる民医連の医師であることを誇りに思えた支援活動でした。
 診察したおばちゃんが「香川から。ご苦労様、先生に会えてよかった」と手を握り涙を流しました。坂病院は震災のど真ん中にありながら、全国の支援を受け、地域の確かな砦になっていました。
 今回の活動は医療活動の糧になった。香川で役立てます。送り出して下さった皆さん、ありがとう。

(民医連新聞 第1497号 2011年4月4日)