原発事故避難者を支援 被曝の不安にも応じる 福島民医連
地 震、津波に加え、原発事故にも襲われた福島民医連。自らも被災地でありながら、災害臨時体制で懸命の医療活動のさなか、「自分たちも避難が必要か」という 緊迫と混乱に見舞われました。しかし、職員集会を重ね、放射線障害を正しく学ぶことで、「まず、医療活動を立て直そう。避難所支援にもとりくもう」と連日 奮闘しています。(新井健治記者)
福島第一原発から五一キロと民医連院所の中で最も近い生協いいの診療所(福島 市)の周辺には、原発のある双葉町の住民らが避難してきました。同診療所長で福島民医連の松本純会長は、通常の診療がない昼の時間帯に看護師や事務職員、 生協組合員とともに避難所を回り、被災者を診療しています。
避難者は震災で家族や友人を失うなど多大な被害に加え、原発事故の不安を抱いています。松本会長は肺炎疑いの子どもを診察し同じ県連の医療生協わたり病 院に入院してもらったり、肋骨骨折が疑われる女性や妊娠七カ月の妊婦も診ました。「診療所が機能していることは、被災者の安心のためにも大切」と言いま す。
避難者の中には最初は津波で、続いて原発事故で、着の身着のままで逃げてきた人が多く、慢性疾患の薬や保険証を持ち出せなかった人も少なくありません。 避難区域の拡大につれて次つぎと避難所を移ってきた人もおり、松本会長が飯野地区体育館を訪問した時には、「ここはもう四カ所目の避難所」と話す人がいま した。
診療所に近い川俣町は人口一万五〇〇〇人の町ですが、一時は五〇〇〇人を超える避難者が押しかけました。今は埼玉県など他県に逃れ、六〇〇人に減ってい ます。松本会長は「落ち着き先のない避難者は疲れきっています。また、たび重なる移動で医療や介護が中断しています。他県の避難所に逃れた際は、地元の民 医連の仲間にぜひ、温かい支援をお願いします」と呼びかけます。
福島民医連は事故直後の三月一三日、福島県知事に対して、速やかな情報開示を東京電力に求めることや、専門家と相談して対応策を決定することなどを要請 しました。二〇日には今回の原発事故に関して政府と東電の責任を明確にし、福島県に原発政策を見直すように求めることを決めました。松本会長は「政府にエ ネルギー政策の転換を要望していきたい」と話します。
故郷奪った“原発震災”
浜通り医療生協 伊東達也理事長
福島県連で津波の被害に遭ったのは浜通り医療生協(いわき市)です。職員は数 人が自宅を流されましたが、無事でした。しかし、残念ながら組合員六人の死亡が確認されています。海岸線は正確な状況がわからず、被害はさらに広がる恐れ があります。同医療生協理事長で、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さんは、原発事故について次のように話します。
津波だけでも大惨事なのに、原発事故が重なりました。世界最初の「原発震災」 です。いわき市は北端が、福島第一原発から三〇キロにあります。私の自宅は市の中央ですが、それでも周囲の半分以上の家が無人になりました。あくまで推測 ですが、市民の三割が市外に避難したと思われます。原発事故は何の責任もない人たちに塗炭(とたん)の苦しみを与えています。
私は「原発の安全性を求める福島県連絡会」の副代表も務めています。連絡会は一九九五年の阪神大震災以降、東京電力に抜本的な地震対策を求め続けてきま した。二〇〇五年に東電社長に文書を提出し、柏崎刈羽原発で火災が発生した新潟県中越沖地震(〇七年)の際は、東京本社まで行きました。ところが、東電は 「皆さんは大げさ。私たちは専門家で、ありとあらゆる対応をしている」と耳を貸しませんでした。
地震対策の要望では、今回のような大震災を想定して、津波の引き潮時に冷却用ポンプが取水できなくなることも示しました。何の対策もとらないまま、指摘 したとおりの事故を起こした東電に対し、抑えようのない怒りを感じます。
放射能汚染で、多くの避難者はもう簡単には町に戻れません。原発はふるさとを奪い、県内を広く汚染しました。事故を契機に原発に頼らない町づくりと、自然エネルギー政策に大きく方針転換すべきです。
緊急被曝事故対策会議開く全日本民医連 全日本民医連は原発事故後ただちに、国と放射線医学総合研究所に対し、国民が最も知りたいのは放射能漏れによる生命や健康への影響とそれを防ぐ方法だとして、きちんと説明するように申し入れました。 |
(民医連新聞 第1497号 2011年4月4日)