全日本民医連 藤末衛(まもる)会長からのメッセージ 新入職員の皆さんへ 被災地支援は民医連の伝統 先輩たちの姿をしっかり見て
新入職員の皆さん、ようこそ、民医連へ
みなさんを共に働く仲間として歓迎します。民医連は、みなさんの「人の役に立ちたい、命の輝きを感じる仕事がしたい」という希望に全力で応えていく組織であり続けたいと思っています。
ご存知のように、三月一一日、東日本大震災が起きました。民医連は、その二四時間後には、もう医療材料や水など支援物資を持って、被災した民医連の病院 に駆けつけました。救急救命活動をはじめ、多数の避難所で被災者の健康状態チェックや相談などさまざまな活動を開始したのです。三月末までの支援者は全県 連からのべ五〇〇〇人を超えており、民医連の使命感と熱意を表していると思います。
こうした災害時の救援医療活動は民医連の伝統です。古くは伊勢湾台風(一九五九年)があり、中越地震にも支援活動をおこないました。私の直接の経験で は、一六年前の阪神淡路大震災があり、全国から職員のべ一万人以上が駆けつけ、大きな救援活動をしました。昔と比べると、震災発生直後から国と自治体主導 による救命活動とそれに続く地域の医療支援活動がスピーディーに組織的におこなわれるようになりました。
地域の声や実態を感じて医療人の使命を果たす、これは災害時の医療活動ではとくに大事です。患者の困難をみたとき自然に身体が動く、そんな職員の感性を 民医連は大事にしてきました。これは、新入職員のみなさんにも、ぜひ伝えたいことです。
私も、地震から三日後に宮城民医連の病院、診療所などに行きました。塩竃市にある坂総合病院は二次医療圏で救急車を一番多く受け入れている病院です。そ の役割を、全国から駆けつけた支援者といっしょに果たしています。仙台市で一番津波被害のひどかった地域に近いのが長町病院です。ここは外来棟が壊れて使 えない状態でしたが、それでも救援活動を始めていました。長町病院の近くにある長町小学校では、当初の避難者は二〇〇〇人ほどでした。数日間は水も食物も 乏しく、寝たきり状態で介護の必要な人が十数人いました。インフルエンザが一人、熱がある人が何人もいると聞きました。ここでは他県から支援に来た民医連 の看護師二人が、保健室に泊まり込んで対応していました。
現地の職員は自ら被災者でありながら、被災者のために医療活動をしているわけです。自分自身や家族のことも構っていられない感覚が生じることが多く、周 囲から積極的に休むようすすめなければなりません。そうしなければ、被災地の医療はダウンして成り立ちません。
家を失った人は長期の避難生活が続くことになります。避難生活は心身ともに大変なストレスです。持病のある人が悪化するのは目に見えています。足腰の弱 い人が寝たきりになる可能性も大きいと思います。長期に健康状態をフォローする活動、積極的な介護や体を動かすことが大切になります。
災害や肉親との別れなど、極限のストレスや困難を抱えた人たちに寄り添って医療、介護をする、これは地域に根ざした活動を重視してきた民医連の普段のあ り方がいざという時にも積極的な意味を持つ例だと思います。ボランティアに行くと、いっそうよくわかると思います。
先輩たちの活動、民医連の姿をしっかり見ておきましょう。
(民医連新聞 第1497号 2011年4月4日)