相談室日誌 連載323 「まじめに働き続けてきたのに…」 辻 加奈江(東京)
昨年五月中旬、八〇代のAさんが呼吸困難で入院し、検査でアスベスト肺と診断されました。担当医からSWへ「労働災害の療養給付など手続きを援助してほ しい」と依頼があり、さっそくAさんと面接しました。Aさんは酸素吸入をしており、一〇分も話すと息苦しくなります。それでも、少しずつ生い立ちや仕事の 話が聞けました。
Aさんは親を早くに亡くし、小学生で伐採の仕事をするなど苦労して育ちました。遠くを見つめ、「仕事ならなんでもやったよ」と。上京後、複数の工場勤務 を経て、ディーゼルエンジンの組み立てに従事します。ここでアスベストに暴露しました。工場の作業は防塵マスクもない危険なものでした。その後、Aさんを はじめ長年勤めた従業員たちは地方の工場へ異動させられました。エンジンは海外生産が増え、収益が減ってきたころでした。
Aさんの退院後も、「働くもののいのちと健康を守る東京センター」の相談員とともに、自宅を訪問し聞き取りを続けました。
「単身赴任でがんばれたのも、仲間がいたからかな」と、社員名簿や職歴を記入した手帳を見せてくれました。その経歴とアスベスト暴露歴を文書にし、レン トゲン写真とともに東京都労働局へ労災申請をしました。
アスベストの被害はすでに戦前から知られており、一九五〇年代には肺がんや中皮腫を引き起こすと報告されていました。七二年にはWHOが発がん性を指摘 し、八七年にはILOで規制条約・勧告が採択されています。日本での法的規制は六〇年のじん肺法に始まりましたが、発がん性物質としての規制は七一年に 「製造」と「取り扱い作業」、七五年に「吹き付け作業」を“原則”禁止した程度。政府はその後も被害を知りながら輸入・販売を許可し続け、ようやく二〇〇 六年に石綿の使用と製造を全面禁止しました。一人ひとりの労働者の健康被害は、恐ろしいほど軽んじられています。まじめに働く人が危険性を知らされないま ま病気になる、それは決して「自己責任」ではないはずです。
面接の中でAさんは「やっと家族と過ごすはずだったのに。病院にいなければならなくて悔しい。恨んでるよ」とつぶやきました。Aさんは今も病気とたたかっています。
(民医連新聞 第1496号 2011年3月21日)