駆け歩きレポート(42) 死亡者810人 薬害イレッサ訴訟 結審集会に支援者つどう 国と製薬企業の責任で抗がん剤の副作用に補償を
肺がんの薬・イレッサの副作用による死亡者は、ついに八一〇人に(二〇一〇年三月末)。製薬企業アストラゼネカ社(ア社)と国に 対し、大阪と東京で遺族・患者が起こした裁判が結審しました。現に売られている抗がん剤の安全性を問題にし、製造物責任、薬の広告宣伝、添付文書の「警 告」の意味などを問い、がん患者の命の重みを訴えた裁判。七月三〇日、民医連の職員も大阪地裁で傍聴しました。(小林裕子記者)
イレッサは二〇〇二年七月に、約五カ月のスピード審査で承認。販売直後から副作用の間質性肺炎によ る死亡があい次ぎ、わずか二年半で死者は五五七人に。間質性肺炎の治療は難しく、イレッサの場合四割が死亡しています。承認前にあった報告一〇例の危険性 を国は見過ごしました。販売後も対応が遅れ、被害を広げています。
承認前から過大な広告宣伝
ア社は副作用症例を隠し、承認前からマスコミ、医師向けに「副作用のない画期的新薬」と宣伝。
夫を四八歳で亡くした妻は、大阪地裁で証言しました。「新聞記事に載った『夢の新薬』『副作用はない』『在宅で使用できる』を信じた。自分から『試して みたい』と申し出て、一〇錠飲んだところで、体調が急変し、入院して五日後に死亡した。危険を知っていたら使わなかった」。
東京の藤竿(さお)伊知郎さん(薬剤師)は「発売前の異様な宣伝、見境のない売り込みで、間質性肺炎に警戒心をもたず、救命措置を取れない状況で使用した医師もいたと思う。企業の売上優先の姿勢が問題だった」と指摘します。
肺がんは「いずれ死ぬ」から?
大阪地裁で、副作用を味わった原告の男性患者は証言しました。「この世のものとも思えない苦痛だった。死者が増え続けていることに心の痛みを感じないのだろうか。肺がん患者だから(いずれ死ぬ)と考えているなら、(国や企業は)動物以下だ」。
中島晃弁護士は最終弁論で故・多田富雄さんの言葉を引用し、「限られた命だからこそ最後の一瞬まで輝かそうとするのが人間。その大切な最後の時を奪ったことは許されない」とのべました。
がん患者だから、抗がん剤の副作用で死んでも仕方ないのか? いまの薬剤被害救済制度では、抗がん剤は対象外にされています。原告と支援者はこれをも疑問視。「抗がん剤被害も対象に」の署名運動も広げています。
日本人で「人体実験」?
イレッサは、販売後の比較臨床試験のどれでも延命効果が確認されていません。「腺がん・女性・東洋人・非喫煙者・特定の遺伝子変異がある患者」に効くと言われますが、仮説の検証段階です。少なくとも、制限なく誰にでも使える薬ではありません。
米国は新規患者には投与禁止、実質使用禁止(二〇〇五年)、EUでは遺伝子変異のある患者に限定承認(二〇〇九年)です。
被告・ア社の言い分は「著効例がある。承認前に危険の全貌が解明されていないと言うなら、すべての医薬品がそうだ。症例蓄積を待つのでは患者のためにな らない。患者から薬を奪うのか」というもの。国は「承認時点で危険情報がなかった。したがって手続き上問題はなかった」と主張。死者を悼(いた)む発言は ありませんでした。
治験した医者に「カネ」
「利益相反」も争点です。企業と医師・研究者の経済関係が医薬品の評価を歪(ゆが)める問題です。
イレッサの臨床試験に携わっていた医師が、個人や属するNPO法人に、ア社から多額の寄付金を得ていました。これは弁護団の調査で発覚し、これを隠していた被告らも公判の中で認めました。
大阪地裁で被告側は「(試験の)中味が違ってなければ問題でない」と強弁しましたが、企業の膨大な利潤とその流れが、薬の危険性を隠した疑いが残ります。
またア社は、初期の添付文書で間質性肺炎の記載が「警告」でなく小さな記載だったことについて、「医師がみれば致死性の副作用とわかるはず」と発言。現場に責任を転嫁しようとしました。
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大阪地裁の結審後、支援者らは報告集会を開き、ア社の本社周囲をデモ行進。大阪民医連をはじめ近畿、関東からも多数参加しました。学習会をして傍聴に臨 んだ新人薬剤師もいます。宇佐美裕子さん(東神戸薬局)は「被告の発言と原告の思いに温度差を感じた」。廣瀬美和子さん((株)大阪ファイン)も「薬の科 学的評価に携わる専門家を被告が否定したので『えっ』と思った」と話していました。薬の正確な評価と情報の欠如が薬害につながりました。
(民医連新聞 第1483号 2010年9月6日)