診察室から 便所飯(めし)
全日本民医連の「医師の確保と養成に関する全国会議」に参加したとき、横浜市立大学の中西新太郎教授の「生きづらさの時代の若者たち」という講演を聞く機 会がありました。いまのマンガや小説がいろいろと紹介されましたが、まったくわかりませんでした。私が読んでいたマンガはドカベンからドラゴンボールくら いまでなので、当然かも知れません。
講演の中では“リア充”“人外”という言葉も出ましたが、一番衝撃を受けたのは“便所飯”でした。友だちがいなくて、ひとりぼっちで食事するところを見 られないように、トイレで食べる学生がいるというのです。本当にトイレで食事をする人がいるのかどうか詮索するつもりはないですが、とっさに“孤立”“競 争”“選別”“サバイバル”などといった単語が頭に浮かびました。
すぐに中西先生の『若者たちに何が起こっているのか』を買いました。読んでみると、トライアングル型の成長構造という項があり、「家庭と学校と消費文化 という三つの領域を巡りながら社会化を遂げていくという意味です」とありました。ということは、家庭の状況、学校の状況、若者向け消費文化がどうなってい るのかを理解することが、現在の若者を理解する鍵ではないかと思って読みすすめているところです。
また講演後のグループ討論のなかで、「『先生が今まで見てきた研修医の中で、私はどの辺の位置ですか』と指導医に聞いてきた研修医がいた」との話があ り、大変驚きました。常に競争させられて相対評価を受けることに慣らされてしまった青年医師の姿が目に浮かんできました。相対評価で一発勝負、失敗すれば 転落するかもしれない、その恐怖とのたたかいに勝ち抜いてきた医学生が医師になったとき、「私は周りからどう評価されているのか」が常に気になるという心 情は理解できます。
ですが、人を競争させて序列化するということは、結局は人の選別につながるのではないかと思います。「いのちの平等」を掲げている民医連で働く職員は、 人を選別するような人間であってはならないし、自分自身も戒めながら日常診療にあたっています。
(大阪・耳原総合病院、青木 淳)
(民医連新聞 第1482号 2010年8月16日)