ほん 『レーヨン発展のかげで 患者たちの闘いと熊本民医連』 興人八代・二硫化炭素中毒症被災者の会著
一九六〇年代に興国人絹八代工場で起きた慢性の二硫化炭素中毒症を労災と認めさせた闘いの記録です。
職業病と認めさせ、補償と防止策を勝ち取るまでには、労働者と医療者の共同とともに、民医連の医師の「目と構え」が大きな役割を果たしました。熊本民医 連は、一工場だけの問題でないと考え、二硫化炭素を使用する工場があった一五地域の民医連に働きかけました。さらに、韓国の労災補償のたたかいとも連帯し ていきます。
被害者が存在する限り、たたかいを終わりにしない「水俣病」と共通する歴史を示す書でもあります。
(民医連新聞 第1481号 2010年8月2日)
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