相談室日誌 連載309 河川敷に住むAさんと向き合って 山下 道子 (東京・東葛病院)
河川敷で生活しているAさんが、歩いて当院に来たのは、前頭部に骨まで見える深い傷を負ったためでした。てんかんの持病があり、発作で転倒したと言いま す。一三針のクリップで傷口をとめた後、医師は入院をすすめましたが、Aさんは「自分は入院生活になじまないから」と拒否。看護師と私が、毎日の消毒と清 潔な環境が必要なこと、入院費は生活保護で何とかできることを伝えると、Aさんはそれまでの穏やかなようすを一変させ「もういいよ、市は俺みたいなヤツに 何もしやしない。どうせ俺は死ぬんだ。ほっといてくれ!」と点滴を引き抜こうとしました。
この時、私はAさんとじっくり向き合う覚悟を決めました。「とにかく消毒には来て」と伝え、Aさんは頭に包帯を巻いた姿で河川敷に帰っていきました。
Aさんは、幼いころから父親との二人暮らしで、東京の大学で社会学を学び、学生運動にも参加したそうです。三〇代で父親とケンカ別れして以来一人暮ら し。生活保護を相談した経験もあるようです。「年間三万人もの自殺者…子どもたちが俺らに石を投げる…何でこんな国になっちまったんだ」とAさん。
翌日から通ってくるAさんの話を聞き、ようやく生保申請の気持ちを確認し、市担当者との面接にまでこぎつけました。ところが、担当者から戸籍や住民票に ついて問われたことをきっかけに、またAさんは怒り出し、それ以来、病院にも来なくなりました。
一〇日後、私と同僚SWが河川敷へAさんに会いに行くと、びっくりした顔をして、少し恥ずかしそうに「なかなかよくできたダンボール小屋でしょ」と微笑みました。
外来医療費の問題を市と交渉中で、外科スタッフもAさんの傷を心配していました。頭のクリップを取ろう、と三人で病院に戻り、診てもらうと傷口は綺麗に 治っていました。 そこで、Aさんに「今の生活のままでよいのですか」と尋ねると、「ありがとうございます。しばらく考えて気持ちが変わったら相談に来ま す」と頭を下げ帰りました。
人としてではなくモノのような対応を受けてきたと言うAさんの、社会や人に対する不信を払拭するには、時間とやはり「人としてのかかわり」が必要だと考えています。
(民医連新聞 第1480号 2010年7月19日)
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