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民医連新聞

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『緊急一時宿泊事業』で職と家を失った人を支援 倉敷医療生協と同労組 国“全額負担”の制度活用 相談員も専従に

 倉敷医療生協と同労組が「派遣切りや雇い止めされた人を支援しよう」と二〇〇九年二月にオープンした「ほっとスペース25」。そ の後、同年一二月に倉敷市が実施した「緊急一時宿泊事業」と連携し、活動を充実させています。水島協同病院などの職員や地域の人びとの協力も強まっていま す。(小林裕子記者)

市の事業でアパート確保

 ほっとスペースは水島協同病院のそば、労組事務所と隣り合う建物にあり、二階の二部屋が緊急一時宿泊所です。寝る場所を即、提供できることが強みです。
 昨年一二月、倉敷市は「緊急一時宿泊事業」を始めました。これはホームレス対策事業ですが、昨年、国が「就労支援」にも位置づけ、「借りた部屋でも可」 など条件を緩和して予算化。全額が国庫負担です。事業主体は市町村で、社会福祉法人かNPO(特定非営利法人)に委託できます。
 同市の事業は、ほっとスペースの活動でその必要性が理解されて実現しました。事業を受託したNPO「かけはし」は、医療生協と協力し、介護や家事援助な ど助け合い事業をしている団体です。「かけはし」はその事業費で新たに四部屋を確保し、専従の相談員一人を配置しました。両者の協力で支援力はぐんと強ま りました。
 二〇〇九年二月~二〇一〇年五月に訪れた相談者は約二〇〇人にのぼり、うち七八人が緊急一時宿泊を利用しました。年齢層は四〇代を中心に二〇~七〇代。女性もいました。

「痛みがわかるから」

 「路上やネットカフェにいた人は、ここで足を伸ばして眠り、お風呂に入れるのが嬉しいんです」。相談員の金平学さん(46)は言います。六部屋が確保される以前は、相部屋をお願いする場合も多々ありましたが、今は、やりくりが可能になりました。
 ここを足場に原則二週間でアパートを探し、生活保護の住宅扶助を受けて転居します。保証人がいないと難航しがちで、金平さんは新しい相談に対応しなが ら、相談者をささえ続けます。実は、金平さんも一年ほど前にほっとスペースを頼って来た一人でした。会社から突然雇い止めされ、ネットカフェでほっとス ペースを知りました。そして昨年七月からボランティアを始め、一二月から専従の相談員に。
 「僕は失業保険があったので良い方だったが、住居を失ったときの心細さがわかる」と金平さん。体験者として寄り添います。

自己責任じゃない

 ほっとスペースの代表・山下順子さん(倉敷医療生協労組・書記長)は「やはり雇用事情が厳しい」と 言います。これまで「仕事が見つかった」が一一人、「常勤の仕事」は四人でした。それだけに、アパートに移った後も相談者たちが孤立しないよう、食事会を するなど気を配ります。
 この春「花見の会」を企画し、これまでの相談者全員にお誘いの手紙を出しました。すると「自分が誰かとつながっていると思えて、うれしかった」と言われました。いま夏の企画も準備中です。
 金平さんが「相談員になってよかった」と思うのは、落ち込んでいた相談者が笑ってくれたり、心を開いて、友だち付き合いができるようになったとき。「自 己責任と言われ続けたけれど、そうじゃなくて社会がおかしいんだ、(バラバラにならず)連帯しようと言いたい」。
 派遣切りをした会社が、また期間工や派遣を募集しています。金平さんは「またか」と憤ります。「正規職員としての雇用、失業保険の延長が必要なのに…」。

「ささえたい」に火がついた

 倉敷医療生協内の事業所のソーシャルワーカー(SW)が当番表を組んで協力しています。水島協同病 院のSW・志賀雅子さんは「ほっとスペースが充実して、ホームレスの受診も『どんとこい』になった。以前はホームレスの人が受診したら、どうしようと悩ん でいたが、いま支援計画づくりに集中できる。看護師などスタッフも安心して、その分もっと優しくなれたのでは」と言います。
 ほっとスペースには職員から布団など生活用品がたくさん提供されました。医師が異動のとき家具を寄付したり、夜回りで必要なテレホンカードの提供を訴え ると医局からすぐに協力が。志賀さんは「支援したいという気持ちに火をつけた」と言います。夜回りにも職員が参加しています。
 これからの課題は「相談者が社会に復帰できるまで支援を続けること」。志賀さんの思いも、山下さん、金平さんと同じでした。
 緊急一時宿泊事業は、国が予算化し、市町村の財政負担もなく、特定法人が一部屋を借用して事業開始が可能(全国約五〇カ所で実施)。倉敷の活動は、その活用の可能性を実感させるものでした。

(民医連新聞 第1480号 2010年7月19日)