カネミ油症問題で学習会 福岡
五月一五日、福岡県保険医協会の主催でカネミ油症の学習会が開催され、福岡県民医連の職員も参加しました。藤野糺(ただし)医師(水俣協立病院名誉院長)が講演し、水俣病との比較も交え、当時の状況や油症認定の問題点、求められる対策や支援について話しました。
「カネミ油症事件」とは一九六八年、カネミ倉庫がつくった「カネミ油」(食用)の製造過程で猛毒のダイオキシン類(PCBが加熱されて変化)が混入して起きた食中毒事件です。
国が、すぐに販売停止などの措置をとらなかったため、カネミ倉庫は汚染油を再精製して売り続けました。工場のあった福岡と再精製油が売られた長崎に被害が集中しています。
原因究明や対策が遅れ、救済の認定基準が被害実態に合わず、救済を求めた一万四〇〇〇人中一九四一人しか認定されていません(二〇一〇年三月)。
不十分な認定と補償
藤野医師は、一九七〇年代から胎児性の水俣病患者を診てきた経験から、「カネミ油」が胎児に影響し、世代を超えて被害を受けている問題に着目。数年前から患者の掘り起こしや検診にとりくんできました。
出荷量から推定すれば一〇万人以上が「カネミ油」を食用し、被害が広範囲にあると推定され、被害の掘り起こしが急務です。被害者が高齢化しており、一刻も早い救済が必要です。
最近、微量のダイオキシンを測定できる技術が確立し、「油症」認定が前進するかと期待されましたが、症状があっても基準値に達しない人は認定されない状 況です。藤野医師は、「認定基準と審査が不十分」と指摘しました。「油症」は「病気のデパート」と言われるほど多彩な症状があり、それを認定基準に入れる ことが重要なのです。
認定患者への救済策も不十分です。数十年も病に苦しんだ人に二三万円ほどの見舞金と治療費程度。加害企業・カネミ倉庫は謝罪もしない態度です。
五五人の被害者が二〇〇八年にカネミ倉庫を提訴、裁判をたたかっています。
次世代への被害も深刻
学習会では未認定の被害患者が発言。当時中学生で、腹痛や下痢、頭痛、肝障害に悩まされ、病院 で診断がつかず、「怠け者」扱いや差別を受けました。「流産や死産を繰り返し、やっと生まれた子に自分と同じ症状が、自分より若い年齢で出現した」と言い ます。「この問題を知ってほしい」と訴えました。
救済のとりくみ早く
汚染の実態を解明し、被害者の救済、安全基準の確立に国が本腰を入れるべきですが、救済法案の提出は見送られました。
事件発生当時から福岡民医連は、患者の治療・救済に中心的役割を果たしてきました。新たな局面のいま、被害の掘り起こしや治療法の確立、生活支援の相談 窓口となるなど、とりくみの強化を図っていく必要があります。(福岡県民医連・小路信一)
(民医連新聞 第1479号 2010年7月5日)