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民医連新聞

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アスベスト被害 患者・支援者ら訴え 「国と企業は責任認め、補償を」

  アスベスト(石綿)の被害者たちが全国で加害企業や国を相手に裁判をたたかっています。五月一九日には、大阪地裁で「泉南アスベスト国家賠償訴訟」の判決 が出され、原告(被害者側)が勝利。控訴した国の姿勢が問われます。三〇日には兵庫県尼崎市でクボタの旧工場を包囲する一〇〇〇人集会が行われ、六月三~ 四日の「公害総行動デー」でも被害者・支援者たちが声をあげました。

省庁前で抗議(大阪・泉南)

 大阪地裁判決の翌五月二〇日。厚労省・環境省前には、雨の中「国は控訴するな」と必死に訴える原告の姿がありました。大阪をはじめ各地の被害者、原告、支援者ら約一三〇〇人が歩道を埋めていました。
 原告・蓑田努さんは「今から四〇年前、四年間だけアスベストの工場で働きました。石綿の屑がもうもうと舞う中で真っ白になって毎日働きました。時を経 て、体の中でアスベストが爆発しました。進行性の肺ガンで手術を受け、右の肺半分をなくしました。月一回腫瘍マーカー検査を受けていますが、結果を聞くの が本当に怖いです。こんな目に遭ったのは、国がアスベストの健康被害を放置したからです。三人の原告が亡くなり、酸素吸入を始めた原告もいて、本当に待っ たなしの状態です。判決を真摯(しんし)に受け止め、国は即座に私たちと話し合ってください」と訴えました。

国の無策認めた大阪判決

 大阪地裁判決は、国がアスベストの危険性を知りながら、石綿の粉じんの排気装置や、粉じん濃度の測定結果の報告や改善装置を企業に義務づけなかったことは違法だとし、国の責任を認め、労働者二六人への損害賠償を命じました。
 しかし一方で、近隣住民や家族の被害については、アスベストとの因果関係を否定し、原告三人の訴えを退けました。
 原告たちが連日座り込んで「控訴するな」と訴えたにもかかわらず、六月一日に国は控訴しました。
 泉南地域は、戦前から日本の石綿産業の中心地。工場の労働環境は劣悪で、粉じんのため「一メートル先の顔が見えない」ほどでした。また粉じんは工場外に も広がり、工場の屋根に雪のように白く積もっていたと言われています。
 国は、粉じんの換気装置の設置を義務づけると、企業に負担を強いて経済発展が阻害されるとして、長年規制せず被害を放置、労働者を犠牲にし、近隣住民にも被害を広げたのです。

アスベスト規制遅れた日本

 アスベストは天然の鉱石で耐久性、耐熱性、耐薬品性、絶縁性に優れ、断熱材、自動車のブレーキ、建築材、水道管、耐火服、船舶のボイラーなどに広く、大量に使われてきました。屑や粉じんを吸い込むと石綿肺や悪性中皮腫、石綿肺ガンなどを引き起こします。
 アスベストの害は一九六四年から国際的に警告され、WHOが八六年に厳しい安全基準を出し、ヨーロッパ諸国では使用禁止があい次ぎました。日本は、全面 禁止が二〇〇八年、安全基準も緩いものでした。その間に全国で使われ、被害が広がりました。今後、発症のピークが到来し、悪性中皮腫による死亡者は一〇万 人を超えるという予測もあります。
 裁判の支援と同時に、全国的な被害者の掘り起こしも急務となっています。
(佐久功記者)

公害被害者総行動デー

 六月三~四日、東京で公害被害者総行動が行われました。アスベストや水俣病、大気汚染、基地騒音被害などさまざまな被害者たちが集い、国や加害企業に早期解決を迫りました。
 三日は、厚労省・環境省周辺をデモ。官庁街にシュプレヒコールが響きました。夜には日比谷公会堂で決起集会を開き、一〇〇〇人を超える被害者や支援者が集いました。

人間の鎖クボタを包囲(兵庫・尼崎)

 「国とクボタはすべてのアスベスト被害者に謝れ、償え」と五月三〇日、兵庫県尼崎市のクボタ旧 神崎工場を包囲する「人間の鎖」集会が開かれ、一〇〇〇人が参加しました。「5・30クボタ包囲人間の鎖実行委員会」(船越正信実行委員長・尼崎医療生協 理事長)が主催しました。
 二〇〇五年六月にクボタの加害が明らかになってから五年。「被害者は救済されている」という誤解が広がる一方、同工場からの距離や医学的データ不足で石 綿健康被害救済制度の対象外にされている人が多いのが事実です。「発表された被害者数は氷山の一角。国・加害企業の責任を明確にして真の救済を求めよう」 と、この行動がとりくまれました。
 国とクボタの責任を問う裁判では、国は「粉じんの周辺住民に及ぼす危険性は知らなかった」「規制権限の根拠法はなかった」と責任を認めず、クボタも「自 動化・密閉化で工場からアスベスト排出はなかった」と責任を否認しています。
 集会では、(1)危険を知りながらアスベストを飛散させ、多数の被害者を出したクボタは責任を認め、被害者に謝罪し償うこと、(2)危険を知りながら規 制を怠ってきた国も責任を認め、謝罪し、今後も発症する被害者の完全救済をはかること、(3)二〇二八年をピークに発症する被害者が九~一〇万人といわ れ、被害者の早期発見のための有効な検診制度を確立し、被害者のいのちを守ること、を求めアピールを採択。その後、「クボタと国は加害責任を認めよ」と声 をあげてデモ行進し、人間の鎖でクボタを包囲しました。
 包囲集会で船越実行委員長は「アスベスト被害はこらから増え続ける。対策をすすめよう」と強調。原告の山内康民さんは「父は苦しみながら亡くなった。ク ボタの『救済金制度』は被害者の口封じのもの。責任を認めよ」と訴えました。
(粕川實則・尼崎医療生協)

(民医連新聞 第1478号 2010年6月21日)