医療と福祉 どうすれば良くなるの? 小池あきら参院議員に聞く
民医連の医師として働き、一二年前から参院議員を務める小池あきらさん(日本共産党)。民医連職員の要望も数多く受け止め、迫力ある国会論戦で取り上げて きました。無料低額診療の積極的受理や、子どもに対する国保資格証明書発行をやめさせるなど、小池議員との共同のとりくみで道が開けたことも数多くありま す。政権交代が実現したけれど、「医療崩壊」や「介護難民」は止まらず、これからの医療・福祉はどうなるのか…。今の政治の状況と今後の展望について、東 京民医連事務局の村上絵理子さんが聞きました。
運動と国会の連携で政治を良い方向へ
小池
政権が変わったけど…
プロフィール 1960年東京生まれ。東北大学医学部卒業後、87年に小豆沢病院(東京民医連)に勤 務、全日本民医連理事を務める。98年の参議院議員選挙で初当選し、2期12年。厚生労働委員として医師不足や国保問題、診療報酬引き上げにとりくむ。著 書に『これからどうする!介護と医療』『どうする 日本の年金』(新日本出版社)。 |
村上 政権交代で、多くの人が政治が変わると期待しました。でも、医療の面では後期高齢者医療制度の廃止は先送り、上げてほしかった診療報酬は実質ゼロ改定など、思ったようにはすすんでいないと感じています。なぜでしょうか。
小池 政権交代が実現した背景のひとつに、医療や福祉を良くして ほしいという国民の大きな願いがありました。自公政権のもとで、医療や介護はめちゃくちゃにされました。その象徴が後期高齢者医療制度です。高齢者を年齢 で差別し、“受益者負担”を丸出しにして人間の尊厳を踏みにじる最悪の制度です。これの即時廃止は、政権交代の旗印だったはずです。ところが民主党は「廃 止する」と言わない。なぜか。民主党には、「憲法二五条に基づき、生きる権利をささえる社会保障を立て直す」という理念がないのです。
それは民主党の財源論でも明らかです。簡単に「財源がない」という。しかし、軍事費だけで五兆円、思いやり予算や米軍駐留費など米軍関係の経費は三〇〇 〇億円あります。財源がないわけではなく、これらの予算を聖域にしているのです。そして、医療や福祉を本当に必要とする人に負担の重い「消費税増税」を口 にする。二五条だけでなく、憲法九条についての理念もないのです。
税金の集め方も問題です。日本は世界でも特異な金持ち減税、大企業減税の国です。社会保険料の負担などを合わせれば「日本の大企業の負担は高くない」と 財務省も認めています。しかし理念がないため、財界などから「大企業の国際競争力の強化が大事」と言われるとたじろいでしまう。
もともと民主党は、構造改革を強力にすすめた小泉政権(二〇〇一年~〇六年)のもとで、その推進を競い合っていた政党です。診療報酬についても抑制を主張していました。
後期高齢者医療制度についても、二〇〇〇年の国会では、高齢者の独立した医療保険制度に民主党は賛成しています。〇八年に反対に回ったのは、国民の世論 の影響です。医療関係者が声を上げ、「医療崩壊は深刻で、このままでは医療の現場はめちゃくちゃになる」との世論が広がったからです。民主党は「世論を気 にする政党」でもあるわけです。
ですから、今こそ「後期高齢者医療制度の廃止は先送りするな」という世論と運動が重要です。
運動と国会の連携で
村上 一票を投じるだけではなく、私たちの声を届けるために運動することも大切なんですね。
小池 はい。みなさんの運動と私たちの国会での論戦がかみ合ったとき、政治を良い方向へ動かせると実感しています。国会では、国民生活の実態を突きつけ国民の立場で論戦することが要求実現への道です。
国民健康保険の問題では、自公政権は「保険料が高い」とは絶対に認めませんでした。でも鳩山首相は、私が「年収三〇〇万円の人で四〇万円の保険料は高す ぎる」と言ったら、「確かに高い」と認めました。長妻厚労相は「資格証明書の発行は慎重にする」と答弁しました。
村上 医療の現場で働いている私たちが、現実と政治を引きつけて考え、声をあげることが大事ですね。
小池 後期高齢者医療制度が始まる前、世間でほとんど騒がれてないときから国会に詰めかけ、地域のすみずみで「高齢者差別の医療制度は許さない」と声をあげたのが民医連のみなさんでした。
実際に制度がスタートし、すさまじい怒りの声があがってテレビや新聞などが取り上げるようになったとき、いつも民医連の姿がありました。世論とマスコミ を動かし、ついには政権交代が起きた。民医連のみなさんは「政治を動かす巨大な力」を発揮したんですよ。
私たちの要求もどんどん届けます
村上
子育てもしています
村上 小池さんは、保育園の待機児の解消を国会で要求しましたね。“国有地を利用して保育園の増設を”という発言が良かったです。小池さんも共働きで子育て中ですね。忙しいと思いますが、父として夫として大事にしていることは。
小池 民医連のお医者さんの方が忙しいかもしれません(笑い)。一人息子が四月に小学校に上がりました。保育園のときは毎朝送っていましたし、今は学校の途中までいっしょに行きます。忙しくても話をする時間をとるようにしています。春休みはドラえもんの映画を見に行きました。
いま保育園不足が深刻です。保育園を作れば建設の仕事が業者に回り、保育士の雇用は増え、子どもを預けた両親は安心して働くことができる。活用されてい ない国有地は、東京二三区だけでも東京ドーム一三〇個分あるんですよ。これを保育園など国民の生活のために活用することを政府に求め、「前向きに検討す る」というところまできています。
村上 院内保育所の補助金が削られるなど医療現場も深刻です。医療や介護の職員が安心して働き続けるためにも、子育て支援は大事です。
医者として国会議員として
村上 民医連の病院で働いていたとき、印象に残っていることは? なぜ政治家に転身したのですか?
小池 一九八七年に、東京民医連の小豆沢病院で医師になりまし た。経営危機の立て直しで、北病院に応援に行ったことが印象的です。民医連のスタッフが着任し、集団的な回診や共同のカンファレンスをしました。そこで は、そうした実践は初めてで、民医連の医療実践への信頼が生まれ、のちに加盟しました。
医療現場で感じ続けていたのは、「政治の壁」です。医療制度改悪で受診にお金がかかるうえ、劣悪・過酷な労働条件のもとで医療を受けられない人が増えていました。
ある個人タクシーの運転手さんは糖尿病で血糖値が高く、入院を勧めましたが、タクシーを買い換えたばかりで入院できないと言う。そのうえ、「先生、死ん だら保険金で借金が返せるから、その方がいいんだよ」と言う。こんなに人を粗末にする政治でいいのかと思いました。そんなとき、日本共産党から立候補の要 請を受けました。良い医療を阻む「政治の壁」を崩すためにも、国会の場で、政治の病気を治療する医師も必要だと考えて決意したのです。
村上 「政治の病気を治す」。とてもいいフレーズですね。
小池 四月二五日には、民医連のみなさんも多く参加した沖縄県民 大会に行き、「基地はいらない」との県民の熱い思いを感じてきました。同時に沖縄だけの問題ではありません。日本中に米軍基地があり、戦後六五年たったの にまるで占領下です。殴り込み部隊である海兵隊に「日本を守る」任務はなく、戦争の「抑止力」などではありません。政府はアメリカに「普天間基地は無条件 撤去しかない」と言うべきです。
政治の壁は厚いものですが、現場の実態を伝えてくれるみなさんとともに壁をたたき続け、少しずつ壁を崩していく。みなさんの後押しをできたときはやりがいを感じますし、もっとやりたいと思っています。
村上 憲法二五条、九条の理念が息づく社会を実現したいですね。私たちも現場の実態や要求をどんどん国会に届けていきます。
(民医連新聞 第1476号 2010年5月24日)