NPT再検討会議 ニューヨークにひびく 「核兵器 NO!」
五月初旬、ニューヨークで開催された二〇一〇年NPT(核拡散防止条約)再検討会議に対して、世界から集まったNGOが一万人規模で行動をくり広げました。
日本原水協の代表団は約一五〇〇人、うち民医連の職員は約二三〇人。七〇〇万筆の署名を国連に提出し、「ヒロシマ・ナガサキをくり返すな。核兵器をなく せ」の声を轟かせました。参加した大阪の安達克郎さん(茨木診療所所長)、長崎の野口佳代子さん(上戸町病院・看護師)からレポートが寄せられました。
核兵器廃絶めざし、世界の人と交流
大阪民医連・安達克郎
メインは二日。タイムズスクエア近くで集会を開き、国連本部前までデモ行進しました。世界から集 まった反核運動家など多数の人と交流しました。原水禁世界大会で知り合ったジョセフ・ガーソンさん(アメリカフレンズ奉仕委員会)と再会。彼は今ニュー ヨーク行動の責任者です。旧知の退役軍人で反戦活動家のアン・ライトさんとも話ができました。
私たちは八日までに署名活動、アニメ「アンジェラスの鐘」の上映会、核施設・ローレンス・リバモア国立研究所の見学、サンフランシスコ大学での被爆証言集会、オークランド市で日系人グループとの交流会などを行いました。
NPT再検討会議は約三週間です。現地の情報から、共同議長のインドネシア・カバクテュラン氏、国連上級代表のセルジオ・ドゥアルテ氏(軍縮担当)、パ ン・ギムン国連事務総長の「核兵器廃絶条約締結に向けた強い意志」がわかりました。彼らは「日本の原水爆禁止運動や各国の反核運動の声が国連に届くことが 重要」と強調していました。
セントラルパークで署名活動をしました。それぞれが持参した横断幕やノボリを展示。タンバリンをたたきながら「No more war! Please sign」と叫ぶ人、一人ひとりに声をかける人、公園の中に入って集める人もいました。私も声をかけ、「Where are you from?」と尋 ね、折り鶴と短冊を渡しました。約一時間で一〇カ国一二〇人の署名が集まりました。
多くの人と知り合いになろうと、チャンスがあれば声をかけ、名刺を交換し、写真を撮りました。カリフォルニアの原爆研究所で働いている婦人、ノルウェーからきたグループ、カナダから来た医師など多数の人と話しました。
各分野の集会もあり、私たちは「医療・福祉関係者のつどい」へ。会場では、全日本民医連の事務局長が司会席に。井上哲士参議院議員が発言中でした。被爆 二世だそうで、日本共産党が要請文を国連や各国政府関係者に渡し、懇談していると報告しました。
SEIUニューヨーク医師部会の責任者ルイス医師が「アメリカ医療者の反核運動と医療保険改革をめぐる動向」を報告。約三万人のインターン・レジデント を組織しているそうです。韓国の原爆被害者キムさん、マーシャル諸島の被爆者アバッカさんも発言し、各地の運動も報告されました。
謝罪してくれた米国人女性
長崎民医連・野口佳代子
長崎の代表団が準備してきたのは水戸黄門の扮装です。衣装に着替え、恥ずかしさと楽しさの入り混 じった気持ちでロビーに降りると、「長崎はすごい」と他県の人たちからフラッシュの嵐でした。パレードの出発地点に向かう途中、立ち止まっては署名をお願 いしましたが、「NO」とか「パールハーバーリメンバー」などと言われてしまいました。しかし、水戸黄門の衣装に惹かれて近づいて来た人がいたり、自分か らすすんで署名してくれた人もいました。
集会は、道路と歩道が閉鎖された路上で行われ、スピーチと歌が約一時間半にも及び、三〇度を超す気温の中で立って聴くのはたいへんでした。熱気に包まれ たパレードは歌と踊りやシュプレヒコールをあげ、横断幕を持って沿道に手を振りました。大勢の人で賑わい、広場に積み上げられた署名の前で記念撮影する人 びとの満面の笑顔…。これは核兵器への抗議か、お祭かという雰囲気でした。
シアトルでは「グランドゼロ」という団体が好意的に迎えてくれました。彼らは非暴力ですが直接行動に訴えることで知られ、軍事基地の境界線を越えて侵入 しては逮捕されています。そこで、ヒロシマ・ナガサキの悲惨さを訴えました。すると一人の女性が「六五年前に米国が犯した過ちを謝罪します」と発言しまし た。私は、胸がいっぱいになり、「繰り返さなければいいの」と言って、抱きしめたい思いになりました。謝罪をのべた彼女の、大切な物を失くした時のような 表情が印象深く、大切に持ち帰りました。
(民医連新聞 第1476号 2010年5月24日)
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