空気のように医療費無料 長野県・原村
八ヶ岳の麓にある長野県原村。「日本一元気な村」と自負するだけあって、生き生きと農業にいそしむ高齢者の姿が目立ちます。六五歳以上の高齢者と一五歳までの子ども、そして障害者の医療費を無料にしている自治体として全国から注目されています。(村田洋一記者)
原村は標高九〇〇メートルから一四〇〇メートルの高原地帯にあり、湿度が低いため高原野菜の栽培が盛んで、とくにセロリの生産高は日本一です。
原村が誇るのは村民憲章。その中の一項に「お年寄りを敬愛する村民」が掲げられています。
医療福祉施策の充実
取材に行った一一月一七日はすでに雪が降り積もっていました。村役場には神奈川県海老名市の共産党議員団が視察に来ていました。全国各地からの視察がたびたびあるとのことです。
保健福祉課長の雨宮直喜さんは「当村では老人医療費無料はもう空気のような存在です。役場の職員にも村民の中でも当たり前になっていて、これを変えようとは今は誰も思わない」と話します。
村の方針には「みんなで支えあう地域福祉の推進」があります。内容は、(1)地域福祉の推進、(2)障害者施策の充実、(3)安心して暮らせる地域ケア の確立、(4)生活援護の充実などの施策です。この施策によって、例えば、乳幼児等医療費特別給付金によって満一五歳まで医療費は無料。申請による給付な ので少し不便ですが、窓口負担をすべて村が給付しています。これは県内でも類がありません。
障害者自立支援関係費は自立支援給付と地域生活支援事業の二本立てです。自立支援法が一割負担になっている代わりに、地域生活支援の独自制度で、在宅で も生活できるように細かい所にも行き届く援助を実施しています。自己負担はありません。
保育料も安く、子育てしやすいと評判です。二〇〇六年に前年度ベースで平均一六%の引き下げを行い、また二〇〇七年度から第二子の保育料を半額に第三子以降は無料にしています。
一九七一年に同村が老人医療費を無料にしたとき、それを主張し実現に尽力した日本共産党村議(当時)の清水正進さんに話を聞きました。
「東京都が老人医療費の無料化を始めたころ、全国の革新自治体がぞくぞくと無料化にとりくんだ。その運動は当たり前のように、乳幼児の医療費についても 及んだ。原村では七〇歳まで無料化したころだったが、村長や議員みんなで岩手県沢内村(当時)に視察に行った。そこで年齢をもっと引き下げてもやっていけ ると確信した」。
国のほうが変なんだ
清水さんは一六年間の村議時代、老人と乳幼児の医療費無料の年齢拡大を主張し続けました。当時の助役から「正進さんよ、老人も乳幼児も何歳まで無料になったらやめるだい?」と冷やかされ、「上も下もひっつくまでやるだい」と言った、と思い出を話しました。
これらの制度に国から横やりが入ったこともありました。
一九八三年に老人保健法が施行され、一部負担金が導入されました。原村の「無料」堅持の方針は揺るがなかったのですが、一〇年以上、毎年のように県から の行政指導監査が行われました。一部負担金を徴収しないことに対して「法律違反である」として「指導」が行われ、国保調整金など特別調整金をもらえないな どのペナルティーも課せられました。
当時の課長は県の指導のたび、県の役人に村民憲章の碑を見せて「原村はこれがあるからやめられない」と胸を張ったそうです。歴代の村長が、革新村政時代 の施策を継承しました。当時の村長も、県に呼び出される担当職員を「村長がダメだと言っているといってがんばって来い」と激励して送り出したそうです。担 当職員も「老人医療費を無料化しているわけではない、窓口で一部負担金は支払ってもらっている。申請のあった者に助成しているだけだ」と言い張りました。
「国の方が変なんだ。自治体が住民を守って何が悪い」と清水さん。住民はこの村政を支持し続けています。
財政も大丈夫
現村議の菊池敏郎さん(共産党)は「無料化すると財政が大変になるのではないかというのは周りが心 配しただけで、たいした増加にはならなかった。長野県は全国でも医療費が低く、原村はその中でもいつも下位。今まで村に貢献してくれた高齢者のためにする のは当たり前、身体の具合の悪いところはすぐに直して、しっかり働いて、安心して長生きしてほしい。全国どこでもやろうと思えばできるはず」と語っていま す。
(民医連新聞 第1467号 2010年1月4日)
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